久しぶりに、本シリーズの記事を再開します。

 前回の記事において、「ナノバブル」に関する巷で囁かれている「効能らしき」ものについて論評を加えておきました。

 その後、なぜこのような「ウソとゴマカシ」が出てくるのかについて考えてみました。

 その理由の第1は、ナノバブルに関するきちんとした学説が打ち立てられていないことにあります。

 これは当然のことですが、ナノバブルの正当性と機能性を主張するのであれば、そう当事者自身が、それを立派に証明し、正当な学説として確立する必要があります。

 このような作業は、十分になされているのでしょうか。

 関係者のみんさん、ぜひとも、ナノバブル研究における初歩的段階を突破されて、その「立派な確立」をよろしくお願いいたします。

 とくに、マイクロバブル研究を疎かにして、ナノバブルのみを研究しようとしていること、これが第2の理由です。

 マイクロバブルの範疇に属する「光マイクロバブル」は、すでに明らかにしてきたように(近くは、「光マイクロバブル技術の基礎」参照)、優れた物理化学的特性と生物的機能性を有しています。

 これらの特性と機能が、ナノバブルによっても発揮できるのか、ここが科学的本質の問題のひとつということができます。

 ここを踏まえないと、ナノバブルの科学的本質は見えてこない、そのために技術的適用においても核心を捉えることができないのではないかと思います。

 第3は、発生装置としての技術的確立がなされていないのでないか、という問題です。

 この問題について、最も重要なことは、その発生装置が公開されていないことです。

 特許とは、公開を行うことで広く産業や生活に役立てるためにあるもので、その代わりに取得の権利を与えられるものです。

 この原則に立脚すれば、その公開後には、それがオープン化され、技術的競争に晒されることで切磋琢磨の試練を受ける必要があります。

 ところが、一部には、それを隠して、さも重要な成果が出ているという報告もあります。

 この場合、

 「それは、ナノバブルのせいではなく、マイクロバブルの成果ではありませんか? いったいどのような装置を使っているのですか」

と尋ねてみたいのですが、そのような質問は最初から拒まれているように感じることがしばしばありました。

 積極的な意見交換、時には激しい論争もあることが学問的発展、社会貢献に結びつくものであり、それを回避しているようでは、自ら衰退を誘起させているようなものです。

 このような問題は、「マイクロバブル」のことを学会で初めて発表したころによく起きた出来事でした。

 その「マイクロバブル」を「ナノバブル」に置き換えれば、同じ現象といってもよいでしょう。

 真の科学、学問は、この問題解決を行いながら洗練され、発展していくという、ある意味で厳しい競争のなかで育っていくものです。

 そこにウソや誤魔化しがあれば、すぐに見破られ、崩れ去って消えていくものになり果てます。

 おそらく、その学問的淘汰が、ナノバブルに関しても起こり始めているのだと思いますが、みなさんは、どう思われますか?

 わずか数年でぽっと出て、ぽっと消えるものが多く、そのなかで、その試練に耐え抜いて残っていくものは、ほんのわずかです。

 幸い、光マイクロバブル技術は、1995年に発表して以来、その試練のなかで立派に生きつづいています。

 しかも、これからが本番という時期を迎えつつあります

 ナノバブル技術も、このたくましさを持って大いに発展していただきたいですね。

 関係者のみなさま方のより一層のご奮闘をよろしくお願いいたします。(つづく)。

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真っ白なチェリーセージ(大成研究所前庭)