高専史における第二期の特徴をやや深堀してみましょう。

 以下は、前回の記事において指摘した二点です。

 1)高専の校長のなかに、「このままでは、高専の存在意義が無くなってしまう。新たな意義を見出す必要があるのではないか」という声が出始め、今後の高専の在り方を積極的に研究する必要があるという主張がなされた。

 2)「全専教(全国高専教職員組合)」運動のなかで、自主的に「教科研究」、「学生指導」、「高専を担う人々」、「高専における研究のあり方」、「将来問題」、「若手教員問題」などに関する論議がなされるようになり、それがじわじわと発展し始めた。 

 『高専の振興方策』が出されたのは1981年でした。

 この内容の特徴は、すでに述べてきたように、3つの看板のうち2つを取り下げたことと、カリキュラムにおける「大綱化」によって、異常といえた過密度をわずかに是正するとともに、その内容に自由度を与えようとしたものでした。

 しかし、この「改定」は、ほとんどの現場の教員に影響を与えませんでした。

 私は、なぜ、これに無関心なのかと思いながら、これを何度も読み返したことを思い出します。

 折しも、わが国は、「奇跡の30年」、「黄金の80年台」を迎え、バブル景気に沸いていました。

 高専生は、入学以来の念願だった「よい会社(大企業)」に就職し、高専教員は、そこに送り込みことによって「よし」としていたのでした。

 その意味で、『高専の振興方策』が出されても、それは「他山の石」のような存在だったのです。

 しかし、このままではいけない、なんとか現状を打開しなければならない、これでは高専の未来の展望が開けない、このように思う指向が、上記の2つの側から生まれてきたのでした。

 これは、とても重要な息吹であり、そのことは、その後の発展のなかでみごとに実証されていきました。

 1)における代表的事例が、木更津高専第3代校長の西田亀久夫さんの主張でした。

 たしか、国専協の副会長を務められた方で、かれの主張の要約を示しておきましょう。

 「高専は、創立以来の20年において、当初の目的を達成してきたが、今日においては、その存在意義がなくなってしまった。

 新たな高専のアイデンティティーを見出さなければ、高専は存立できなくなってしまう」

 これを踏まえて彼が強調したことは、高専の新たな「存在意義」、すなわち、アイデンティティーを見出すための自主的研究の必要性でした。

 この究明は、次の問題を区別することを明確にしていきました。

 単なる五年制の職業訓練校なのか」、あるいは「5年生の工業高校化なのか」で終わるのか、それとも「高等教育機関でありながらも、高度な専門性を養うために研究を加えた教育を行うところ」なのか。

 この呼びかけに、木更津高専の一般科目を中心にした教員集団が呼応し、その内発的研究が開始されたことは非常に重要なことでした。

 おそらく高専の歴史においても、初めての校長と教員による「前向きの連携」だったのだと思います。

 この流れが発展し。「探究心に火をつける」という、有名な「木更津特研」が生まれることになりました。

 今振り返っても、この意義は小さくなく、次のような意味を有していました。

 ①先見を有した校長と一般科目教員の連携によって、高専らしい実践教育がなされ、その成果が教員自身を成長させた。

 ②とくに、高専における一般教育のあり方に関する典型的モデルが形成され、その成果が他高専にも波及するようになった。

 ③また、この教育成果は、国専協を中心にした高専校長にも影響を与えるようになり、これを契機にして、高専の将来像に関する活発な議論が巻き起こるようになった(その詳しい論議の様子は、残念なことに非公開のままであった)。

 一方で、2)の流れも、独自の発展を遂げるようになり、とくに、その教育研究集会において活発な論議が交わされるようになりました。

 当時の熱気ある議論は、じつにフランクで楽しいものであり、私も、そこに魅力を感じた一人でした。

 今でも、その時の記憶が鮮明に蘇ってくるのは、とても印象深かったからでしょう。

 しかし、その議論は、大変おもしろかったものの深みや系統性に乏しく、その意味で、高専における実践的教育は、まだ「未熟な段階」に留まっていたのだと思います。

 次回は、その議論の中身についてより深く分け入ることにしましょう(つづく)。

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フウセンカズラ(大成研究所前庭にて)