周知のように、ダムは「人工公物」のひとつであり、人々の生活と産業に役立てるためにあるものでり、それによって死者や被害を生み出すものではありません。

 今回の肘川流域の災害において合計で9人もの尊い命が失われ、おそらく千をこえる家屋に大きな被害が発生したのではないかと思います。

 ほとんどすべての家財道具が流され、生活手段がダメになり、被災者の方々は茫然とされていることでしょう。

 さて、 本日から、野村ダムより約10数㎞下流にある鹿野川ダムの放流問題について考察しようと思っていましたが、先日、国土交通省四国地方整備局が、記者会見を行ったようで、その様子が愛媛新聞に12日付で報じられています。

 また、明日は現地での説明会がなされるようであり、まずは、その愛媛新聞に関連付けて、野村ダムについて再度考察を試みることにしましょう。

 以下、その一部を掲載します。
 
 「一連の豪雨による肱川水系の氾濫で、国土交通省四国地方整備局が11日、愛媛県大洲市中村の同省大洲河川国道事務所で会見し、野村ダム(西予市)の48時間の流域平均雨量が計画の約1・2倍の419ミリに達するなど、想像を超えたことを明らかにした。

 鹿野川ダム(大洲市)も同約1・1倍の380ミリだったが、ともにダム操作は適切との認識を強調した。最大時間雨量は野村53ミリ、鹿野川47ミリだった」

 これを読んで、唖然とさせらた、これが第一印象でした。

 また、示された数値に誤りがあるのではないかとも思いました。

 それはまず、計画の1.2倍、あるいは1.1倍の降雨量が「想像を超えた」ものであったという発表が堂々と行われていたことでした。

 「想像を超える」雨とは、せめて計画の2~3倍を超える雨といえば、ある程度の理解は得られますが、それが1.2倍や1.1倍であったのであれば、「それは、想像することができない方々の想像」でしかないといわざるをえません。

 平たく言えば、1.1倍~1.2倍というのは、まったくの誤差の範囲であり、雨量データにおいては、このような誤差はよくあることです。

 それを「想像を超えた」というのですから、呆れかえるほどの驚きでした。

 1982年に長崎水害がありました。

 当時、私は33歳、助教授になったころで「駆け出し」でした。

 この時、長崎の眼鏡橋に流木が引っ掛かって氾濫したときの報道写真を見せられ、小さくないショックを受けました。

 この氾濫は、降雨が1日で100㎜あり、それが3日間連続で降ったことによって起こりました。

 そして、この大災害が起きたことが深く記憶のなかに刻みこまれました。

 3日間で300㎜の降雨、これが起れば、どこでも長崎並みの大災害が起こる可能性があると思いました。

 もちろん、当時は、このような大雨は珍しく、それこそ「想像を超えた」雨でした。

 ところが、それから36年が経過し、最近は、このような雨が珍しくなくなりました。

 今回は、48時間で419㎜ですから、たしかに多いのですが、しかし、「想像を超える」雨ではありませんでした。

 しかも計画の1.2倍、あるいは1.1倍ですから、その程度であれば、それは当然想定内の雨ということができます。

 それを「想像を超えた雨」というわけですから、その会見された方々は、相当に苦し紛れであったということができるでしょう。

 気象庁は、7月6日の時点で、相当な雨が降るという警報を発していましたので、「想像を超える雨」があることは、すでに警告されていました。

 国土交通省四国地方整備局の方々は、6日の気象庁の会見と警報を、どのように受け留めていたのでしょうか。

 その道のプロであれば、これは真摯な対応とは、到底いえるものではありません。

 そして、この会見においては、たしかに雨は想像を超えたものではあったが、私たちのダム操作は「適切であった」ことが、わざわざ強調されています。

 これは、一体どういうことなのでしょうか?

 かれらは、一番肝心な「適切であった」ことを強調するために、想像を超えた降雨のことを持ち出したに過ぎないのではないか?

 このような論理を持ち出すことには、かれらなりの「意図」があるのではないか?

 このように想像してみたくなりました。 

 しかも、非常に重要なことは、かれらの見解が、洪水氾濫が起きた直後の会見で述べたことから変化したことでした。

 それは、今回のダム操作が「止むを得ない」から「適切であった」と修正されたことでした。

 なぜ、このような修正をする必要があったのでしょうか?

 「止むを得ない」とは、「ほかに、どうすることもできない」という意味です(広辞苑)。

 「ほかに、どうすることもできなかった」というダム操作であれば、「この方法があったのではないか」と追及される恐れがでてきます。

 「止むを得なかった」ではなく「適切であった」といえば、「何が適切であったか」の論争に持ち込むことができます。

 ここには、真摯で謙虚とは決して思えない、「開き直りでしかない」姿勢が垣間見えます。

 さらに、愛媛新聞における次の記事についての解説を行いましょう。

 また、わかりやすくするために、野村ダムの放流に関するデータを再録します。
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 「洪水に備え野村では4日から、鹿野川では3日から事前放流したと説明。

 両ダムで実施した異常洪水時防災操作について両市との連絡体制を取っていたとした。

 住民への周知では、『意識を高めることも行政の役割と考えている』と、啓発活動にも力を入れる考えを示した。

 同局の説明では、野村ダムの安全とされる放流量は毎秒300トン。

 7日午前5時50分に同400トン放流し、6時20分、防災操作を開始。

 最大放流量は7時50分に1797トンに達し、安全とされる基準の約6倍。

 安全放流量毎秒600トンの鹿野川ダムでは6時33分850トン放流し、7時35分に防災操作を開始。最大放流量は、基準の6倍超の3742トンだった。

 雨量については『想像を超えたのは直前』との見解。鹿野川ダムでは7日午前8時42分、最大流入量(毎秒約3800トン)が管理開始以降最大を記録したが、予測は『午前5時10分ごろ2千トン、同5時20分ごろ2900トン』だったとし、約3時間半前の時点で2倍近いずれがあったことを明かした」

 このうち、野村ダムの放流問題については、すでに、その解明を行ってきましたが、ここでは、この新聞報道に関することで、再度のコメントを述べておきましょう。

 上記の記事において、「同局の説明では、野村ダムの安全とされる放流量は毎秒300トン」という指摘がありますが、これは「調節流量」(野村ダムHP)のことです。

 たしかに、この調節流量毎秒300トンは、流しても安全な流量ですが、これ以上に流して安全な放流量は予め決められているのですが、なぜか、この毎秒300トンの説明で終わっています。

 それから、同記事には、「7日午前5時50分に同400トン放流し」とありますが、これは誤りで、午前5時50分の段階では、まだ毎秒300トンが維持されています。

 この毎秒300トンの段階から、放流量の増加を開始したのが6時20分であり、その放流量が毎秒400トンを超えたのは、6時20分よりも少し前のことでした。

 この30分のずれをどう説明するのでしょうか。

 それとも、これは、記者が聞き間違えたのかとでもいうのでしょうか。

 国土交通省側のいい間違いであれば、訂正が必要と思われます。

 ここで、もうひとつ重要なことは、その次にある「6時20分、防災操作を開始」という記述です。

 これは、国土交通省側の発表を、記者が、そのまま聞いて、このように書いたのだと思います。

 この記述は、鹿野川ダムにおいても同じ記述になっていますので、これを聞き間違えたということはないでしょう。

 この記述がなぜ重要かという理由は、6時20分より前においては、「防災操作を開始していなかった」ことを自ら認めた発言といってもよいことにあります。

 たしかに、その通りであり、午前6時20分になるまでは、調節流量である毎秒300トンを放流し続けていました。

 この間に、ダム操作にとっては、非常に重要なことが発生していました。

 その第1は、午前5時20分に、野村ダムの貯水率は100%に達し、満水状態になって、さらに、その後も満水位を越え続けていたのでした。

 ここで、事前放流(前の記事においては、私は「予備放流」と呼んでいましたが、これからは、当事者が用いている用語法に従います)の毎秒400トンにすぐに切り替え、さらに毎秒400トン+αの事前放流を行うべきでした。

 この「6時20分、防災操作開始」という説明は、それ以前において防災操作を行っていなかったことを自ら暴露したことになり、午前5時20分から6時20分の60分間は、調節流量を流す以外には何もせず、ひたすらダムの貯水量を増やしていたのです。

 この不適切な操作によって、ダムの貯水は溜まりに溜まって、ダムが決壊するほどの恐れを自ら招いてしまったのです。

 ダムの操作規則上では、もっと早い段階から事前放流を開始し、毎秒400トンを、そして毎秒400トン+α(ダム管理事務所のHPには、このような+αの表現が用いられている)の事前放流が行われることによって、最大放流量の毎秒1797トンをかなり減らすことができたはずです。

 6時20分以降の問題点も加えておきましょう。

 第2は、午前6時32分に、ダムからの放流量は、計画最大放流量毎秒1000トンを越えますが、これに関しては、何も「防災操作」がなされていないことです。

 防災操作を開始したとされる6時20分から、この計画最大放流量を超えるまでの経過時間はわずかに約12分です。
 
 計画最大放流量は、ダムの防災操作を行うことによって、ここまではぎりぎり流すことができる、すなわち、下流における堤防からの氾濫寸前の水位となる放流量のことです。

 この計画最大放流量を放流した前後の放流量の実際を示しましょう。

 午前6時10分   毎秒370トン
   6時20分   毎秒439トン(10分間で毎秒69トン増)
   6時30分   毎秒902トン(10分間で毎秒463トン増)
   6時40分   毎秒1409トン(10分間で毎秒507トン増)
   6時50分   毎秒1452トン(10分間で毎秒43トン増)

 すでに、述べてきたように、6時20分から6時40分の20分間で、それぞれ10分ごとに毎秒463トンと毎秒507トン増という、きわめて異常な放流量の急増が大きな問題であり、ここに不適切操作における最大の本質があると思います。

 わずか、20分間で毎秒約1000トンの放流増をやってのけたのですから、これは前代未聞の放流増(放流増加速度)といってよいでしょう。

 そして、最大放流量毎秒1797トンに達したのが、午前7時50分でした。

 ここで、最大放流量毎秒1797トンが、調節流量毎秒300トンに対して「約6倍」であったという指摘がなされています。

 これは、実測データに基づいていますので、それを偽ることはできません。

 しかし、その6倍であったことのみを主張することで、何かが抜け落ちているように思われますが、いかがでしょうか。

 たしかに、6倍の水を放流したことで、災害が起こったのは事実であり、これで、ダム放流操作が「適切であった」ことが証明できるわけではありません。

 それは、わずか20分間において、毎秒439トンから毎秒1409トンまで、異常な放流量の増加を操作したこと、これが第3の問題といえます。

 その結果、下流では河川が氾濫し、急激に氾濫水の水位が上がり、死者や死ぬような思いの人々を生み出したのです。

 ダムは、洪水を防ぎ、人命と産業を守るために造られた人工公物であり、そのことを根本から考え直してみる必要があります。

 第4は、計画最大放流量毎秒1000トンの約1.8倍もの放流を6時40分~9時までの140分間の長時間にわたって持続させた問題です。

 下流では、この長い時間において、河川水が堤防から氾濫し、洪水になっていったといってよいでしょう。

 このように、今回のダム操作は「適切だった」どころの話ではなく、それを主張し続けるのであれば、この4つの問題点についても、その見解をきちんと述べる必要があると思います。

 もう一つは、ダムへの流入量を、そのまま放流できるという「ただし書き」に関する放流のことです。

 これについても愛媛新聞が触れていました。

 これらについては、鹿野川ダム放流操作の問題も含めて、次回に考察することにしましょう(つづく)。

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 百日紅(大成研究所の前庭にて)