計画最大放流量毎秒1000トンをはるかに超えて最大で、その1.8倍もの放流を約2時間28分間もの長きにわたって継続した、この事実は、公表されているダム放流記録から明らかになっています。
このダムに流入してきたものを、そのまま放流させるようになったのは、7日午前7時前後からです。
念のため、下図を再々録しておきましょう。
上図を踏まえ、実際の放流は、次の3期に区別できるでしょう。
①第1期
調節放流毎秒300トンが維持されている期間、7月7日零時~6時まで。
②第2期
調節放流を止めて、いきなり大量の放流を始めた期間、7日午前6時~6時50分までの50分間。
③第3期
ダム流入量を、そのまま放流させた期間、7日午前6時50分~同日午後まで。
ここで、②と③をなぜ区別したかというと、それは、②の期間においてあまりにも急速に放流量を増加させていったからです。
これを、②と③において比較してみましょう。
②おける放流量増加速度: 21.7 ㎥/分
③における放流量増加速度:5.75 ㎥/分
前者は、後者の増加速度において、じつに3.8倍もの速さを示しています。
この増加速度とは、加速度のことであり、正確な単位は㎥/(分の2乗)です。
因みに、午前6時から7時までのダム流入量の増加分を単位時間に換算すると、その値は8.65㎥/分になります。
この値と比較しても②おける放流量増加速度は、2.5倍になります。
これはダムに流入してきた水を、そのまま放流したときの数値です。
以上のことから、②の異常放流は、その前の60分間と比較して約2.5倍、その後の最大放流量に至る60分間においても、その約3.8倍もの速度でなされたことが明らかです。
周知のように、洪水による氾濫と、それに続く被害は、次の要因で、その規模が影響されます。
1)計画最大放流量毎秒1000トンを超えた場合における最大放流量の絶対値とその継続期間の長さ
2)最大放流量に至るまでの放流量増加速度
今回の洪水氾濫においては、1)において1.8倍の最大放流がなされ、計画最大放流量を超えた時間が約148分であったこと、さらには、2)において、その増加速度が、その前後と比して3.8~2.5倍と異常に大きかったこと、これらが被害を大きくした特徴ということができるでしょう。
これらは、決して、管理者側がいうように「放流は止むを得なかった」のではなく、十分に対応することで、かなりの被害の軽減が可能であったように思われます。
重要なことは、「止むを得なかった」ということで、その大切な被害軽減法、あるいは回避方法があったことが曖昧になってしまったことです。
この②と③を特徴とする「異常放流」によって、下流の野村町のみなさんに、洪水が襲いかかることになりました。
現地の被害を受けた住民の方の証言によれば、水が急に増えて避難しようと思ったときには、すでに水位が膝の上まで上がってきたそうで、この状態で非難するのは危険だと思って、すぐに二階に上がったそうです。
その後、水位はますます上がってきて、二階においても胸あたりまできたので、これは命が危ないと思って、慌てて二階の屋根までよじ登ったそうです。
この夫婦の場合、命からがらでしたが、運よく二階の屋根に上れたからよかったものの、それができなかった方もおられたのではないかと思います。
今回の被災による死亡者の特徴は、その7割が60歳以上であったこと、しかも、そのほとんどが二階に上がれずに一階で亡くなっていることが報じられていました。
この原因は、出水による水位の急上昇、土砂の流入などにあったことが推察されます。
大切な命を不意の被災でなくしてしまう、こんな無念なことはありません。
関係者は、その思いを重く受け留めなければなりませんね。
次回は、どのような被害軽減、あるいは回避策があったのかについて詳しく分け入ることにしましょう(つづく)。
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