野村ダムの放流量の時系列変化を詳しく調べてみましょう。

 以下に、ダム流入量と放流量変化に関する実データを示します。 
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 これより、青色が野村ダムへの流入量、赤色が野村ダムからの放流量を示しています。

 7月7日は、午前零時前後からダムサイトにおいても雨が降り続き、ダムへの流入がすでに始まっています。

 ダム管理事務所も、調節流量の毎秒300トン(300㎥/s)を流し続け、午前2時30分までは、その放流を維持して、ダムへの大量流入に備えているようです。

 ところが、この午前2時30分を境にしてダムにより大量の流入が始まります。

 しかし、ダム事務所は、それ以前と同じ調節放流量毎秒300トンを維持し、それが午前6時まで続けられています。

 新聞報道によれば、ダム管理事務所は、この間、ダムおいて貯水量を増やし、その間、すなわち、午前2時半から6時までの3時間半は調節放流を維持して、下流での高水が起こらないように配慮したとのことでした。

 しかし、この判断に次の問題が含まれていたと思います。

 ①ダムへは時々刻々と大量の流入があり、ダムはすぐに満杯になる、すなわち貯水率100%になることが予想されたことから、満杯になる前に、調節放流ではなく、「予備放流」を行うべきであったのではないかと思います。

 ②ここでいう「予備放流」とは、大雨が降ることが予想されている場合には、予め、雨によるダム貯水池への流入を予測して、調節放流量以上の放流を行うことをいいます。

 ダム管理事務所には、当該流域に降った雨の雨量計情報が逐一入ってきていますので、その降雨の状況から、時々刻々のダムへの流入量を予測することが可能です。

 また、この予備放流については規則化されており、野村ダム管理事務所のホームページにも、それが可能であることが明記されています。

 ③しかし、この予備放流は、一度も行われないまま、一方的にダム貯水量が増えていきました。

 ④そして7日午前5時20分には、ダム貯水率が100%に達し、ダムが満杯状態になりました。
 ところが、ダムが満杯状態になっても、調節放流毎秒300トンの状態を変更せず、午前6時まで、それを40分間も続けていました。

 ダムが満杯状態になったのですから、それ以上にダム貯水量を増やすことはできないはずですが、どうして、調節放流量を維持したのでしょうか。

 ここには小さくない問題があると思います。

 この時点においては、ダムの周辺流域において大量の降雨があり、とてつもない流入があることが予想されていたはずですが、この40分間においてさえも、調節放流を続けていたことには小さくない瑕疵があったことを指摘せざるをえません。

 ⑤そして、ダムが満杯状態になった5時20分から40分後に、ようやく放流が開始されます。

 すでに、この時点ではますます大量に水がダム貯水池に流入していたために、ダムが危ういと思ったのでしょうか、急激な放流量の増加が始まります。

 この放流量増加の開始が、午前6時です。

 ここから、6時50分までの50分間、放流量を毎秒300トンから毎秒1450トン前後まで一気に増やしています。

 この時刻が午前6時50分です。

 ⑥この50分間における放流量の「尋常でない増し方」が問題であり、その結果として直下流の野村町のみなさんは大変な被害を受けることになりました。

 ⑦どこが「尋常ではない」かといいますと、ダム管理規則には、計画最大放流量というのが予め決められていて、野村ダムの場合には、それが毎秒1000㎥であると定められています。

 計画最大放流量とは、わかりやすくいうと、「ここまでは最大放流できますよ、それによって下流の河川においては氾濫など河川災害は起こりませんよ」という主旨の放流量のことです。

 問題なのは、この最大放流量毎秒1000トンのところを何ら躊躇もせずに、一気に毎秒1450トン前後まで増加し続けてきたことにあります。

 この時刻の前後の流入量と放流量のデータを示しましょう。

   いずれも野村ダム管理事務所で計測されたデータです。

            流入量(㎥/s)    放流量(㎥/s)
 7月7日 6時20分     1279           439
     6時30分     1541(1.20)     902(2.05)
     6時40分                  1705(1.33)                1408(3.21)  
     (  )は筆者が追加

 いかに異常か、この3つのデータに、そのことが示されています。

 これより、流入量は、1.2~1.3倍にしか増えていないのに、放流量は、2~3倍に急増させていることが明らかです。

 しかも、計画最大放流量を超えても異常な速度で放流量を増やしていること、ここに無謀で誤った放流があったということができるでしょう。

 そして、わずか20分の間に、放流量を毎秒1000トンも増やしているのですから、それを流された下流のみなさんは、たまったものではありません。

 計画最大放流量毎秒1000トンの放流がなされた後からは、下流の水位が急増し、そして越流が始まったことは容易に想像できます。

 ここで、重要なテレビ報道がありましたので、それを紹介しましょう。

 野村町で被害を受けた住民の方がインタビューを受けていました。

 その方の工場は、浸水で台無しになっていましたが、丁度高さ1mの枠の上に、小型の時計が置かれていて、それが7時4分で止まっていました。

 この高さまで氾濫水が押し寄せてきたことを示す重要な時刻データといます。

 そして、この工場の壁には、大きな時計がかかっていました。

 この時針は、7時20数分で停止していました。

 おそらく、この大きな時計の高さは、地面からだと3m程度ではなかったかと思います。

 この2つの時針データから、約20分間に2m以上の水位の上昇があったことが推測可能です。

 この方の話によれば、水位の上昇が早く、避難所へ向かうことを止め、二階に上がったそうです。

 しかし、二階も胸まで浸かるようになり、命からがら二階の屋根まで上って難を逃れたとのことでした。

 この水位の急上昇は、上記の数字に表されているように、急激な計画最大放流量を超えた放流がなされてことによるものであり、それによって命を危うくすることまで追い込まれた、これが実際に起きたことでした。

 現に、この氾濫と浸水によって5人の方が亡くなり、多くの家屋が浸水によって破損したことが報じられています。
 
 次回は、上図における赤い点線で囲んだ部分について考察を勧めることにしましょう(つづく)。