⑦7月10日 夕刊 不明56人 捜索続く 西日本豪雨 72時間経過 死者128人に
⑧7月11日 朝刊 過酷さ増す捜索 西日本豪雨 各地で30℃超 死者157人 不明56人
⑨7月11日 夕刊 断水25万個 長期化も 西日本豪雨 甚大被害の3県
⑩7月12日 朝刊 なお7000人避難 西日本豪雨 安否不明60人超 死者162名
⑪7月12日 夕刊 鉄道被害100カ所超 西日本豪雨 多くが復旧未定 死者195人
⑫7月13日 朝刊 死者200人 不明67人
この見出しからも明らかなように、死者の数は増える一方です。
しかし、通常の場合ですと、その分だけ安否不明者の数が減っていくのですが、未だに、その傾向はありません。
これは、死者と安否不明者が共に増えているからで、それだけ、今回の災害が広域で、調査が難しいことを示唆しているようです。
これほどの大災害ですから、すでに指摘してきた初動の遅れは決定的であり、そのことが、これらの被災者の数に少なからずの影響を与えるといわざるをえません。
この報道のなかで、とても気になったことがありましたので、一言、それに触れておきましょう。
それは、愛媛県の肱川における災害についてです。
これは、いろいろな意味でダムによる災害の要素がかなりあるのではないか、この推論において、それなりに考えるところがあったからです。
報道を通じて、「被害は予想されたが、やむを得ない措置だった」という国土交通省四国地方整備局の見解が報じられていました。
これによれば、かれらは、「ダムによる災害ではなかった」という見解のようです。
この問題を考える際に、次のことを考慮する必要があります。
①被害の状況を正しく把握する
現地には、野村ダムと鹿野川ダムの2つがあり、前者が肘川の上流にあり、後者は、その下流にあります。
被害は、野村ダムの直下流の野村町で集中的に発生し、報道によれば、野村町の死者は5名、被害を受けた家屋数は約400、500戸とされています。
また、肘川の下流の大津市においてもかなりの数の死者が出て、浸水被害も相当深刻な様子が報じられています。
両ダム管理事務所が発表しているダム放流情報、テレビ、新聞記事などを参考にして、可能なかぎり洪水被害の実相を明らかにし、それを踏まえて、次の②と③を詳しく考察することにしましょう。
②規則の通りに、ダムから放流がなされたのか?
国土交通省四国地方整備局の記者会見での説明を受けて、各報道機関が、この死亡を含む災害の様子を報道しています。
そのなかで、野田ダムおよび鹿野川ダムの放流は、被害が起こることは予想できたが、止むをえなかったという国土交通省の説明を、そのまま報道しているメディアもありました。
まともなメディアであれば、死者を多数出し、たくさんの家屋被害が出たのすから、その説明を鵜呑みにせず、なぜ、災害が起きたのかについてより詳細に検証する必要があるという見解を示す必要があります。
なぜなら、だれが考えても尋常ではない急激な放流がなされたことは事実ですので、どこが尋常でなかったかを解明することこそ重要なことといえます。
それが、ダム放流規則にしたがってきちんと放流されたのか、まずは、これが重要な問題になります。
③2つの連なったダムの放流問題
今回は、上流の野田ダムと、その下流の鹿野川ダム、この2つのダムにおいて放流がなされました。
前者の放流は、直下流の野田地区で死者を含む被害を引き起こし、後者のダムの放流はは、下流の肘川で被害を発生させました。
メディアでは、この区別がよくなされていないままに報道されていたのもありました。
当然のことながら、上流で放流されたマム貯水池の水は、下流の鹿野川ダム貯水池に入り込んでいきます。
本来ですと、上流のダムにおいては、可能なかぎりの洪水防御を行い、それでも達成できなかった分を下流のダムが受け持って、流域全体の安全を確保することが、これらにダムに課せられた役割です。
次回は、これらをより詳しく検討し、今回の被害について深堀をしてみることにしましょう(つづく)。
ヤブカンゾウ
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