先日、BSテレビを拝聴していたら、とてもおもしろい番組を見つけました。

 それは、アナウンサーの池上彰さんが、5人の方にロングインタビューする放送でした。

 その一人に歴史学者の磯田道史さんがいました。

 それを見ていて、これはおもしろいと思って、即座に録画しました。

 私の場合、これはよさそうだと思うと、すぐに録画し、後から何度も観て、ほぼ完全にマスターする(頭のなかに記憶として確かに入れ込む)ことにしています。

 早速、この実践を遂行し、「磯田歴史観」の大事なところを学習いたしました。

 また、これをより深かめるために、磯田氏の最近の著作6冊をアマゾンで注文しました。

 さて、この対談は、その内容が豊富で重要なものが多かったせいでしょうか、何度見ても、それが私の頭には入りきれず、最後は、克明にメモを取ることになりました。

 「これは、高専の未来図を考え、描くことにも役立ちそうだ!」

 こう思って、本日は、少し寄り道をすることにしました。

 このインタビューにおいて、まず、最初に目に留まったのは、「反実仮想(はんじつかそう)」という用語でした。

 これは、起きてもいないことを自由に考えることであり、「もし、何々であれば、どうなるのか」を思案することです。

 私が見る数少ないテレビ番組のなかでNHKBS「英雄たちの選択」があります。

 これは、重要な歴史局面において、どのような選択をするのか、すなわち、半実仮想を論じ合うことにおもしろさがある番組です。

 おそらく、この番組の発想、それから番組構成の内容についても、メインキャスターである磯田が重要な寄与をなしているのでしょう。

 もし、その時の選択が違っていたら、歴史は、大きく変わっていただろう、これを想像することは視聴者にとっても非常におもしろいことであり、いわば、視聴者の反実仮想力に刺激を与えようとしているのだと思います。

 この力は、技術開発においても深く問われるものであり、「もし、こうであったら・・・」、と問いかけることは何度も繰り返されることです。

 これは、過去を振り返るときのことですが、逆に未来に向けて発するときには、「もしかして、ひょっとしたら・・・」という思いを巡らすことになります。

 磯田は、この番組の最後において、まとめの発現を必ず行いますが、そこで歴史の事実とは異なる選択がなされた場合には、こうなったであろうという反実仮想の鋭い洞察を示します。

 それは、歴史に精通してきた学者らしく、大胆で、もっともらしく、魅力に溢れたものであり、ここに磯田の洗練された歴史観が裏打ちされていることからおもしろみを覚えるのだと思います。

 ここには、何事にも好奇心を抱き、それをとことん追究してきた鋭さがあり、これを際立たせた仮想力が、視聴者を「なるほど」と感心させる説得力が発揮されています。

 この洗練は、高専の未来図を描く際にも非常に重要なことです。

 「あの時、高専が、こうであったなら」、「高専が、自己改革を怠ってきたのならば」、「高専は、もうだめかもしれない」、「いや、高専は、このようにして活路を見出してきた。そこにヒントがあるのでは」、このような問いかけがいくつも、脳裏を駆け巡ります。

 50年余を経た高専において、あるいはそれ以上の歴史を有するわが国の技術者教育において、豊かな反実仮想がなされることが、その未来への反実仮想をよりゆかいにするのではないでしょうか。

 次回は、この磯田・池上対談のなかに、より深く分け入ることにしましょう(つづく)。

akaihina
なでしこ(大成研究所の前庭にて、筆者撮影)