赤坂の和風レストランには、面会相手方の企業の方3名がすでに到着されて待っておられました。
みなさんとは、先月に国東で面会して以来のことであり、まずは、この間の取組について互いに情報交換を行いました。
私どもからは、最近の緑砦館の様子が報告されました。
すでに、レタスやサンチュの葉野菜が、例年と比較すると約1カ月も早く終わってしまったこと、そして今は夏野菜に移行し始めた様子などを紹介しました。
また、この面談を兼ねての食事会が始まりました。
ここのレストランの料理長Nさんは、大阪の吉兆本店で働いていたところを、ここの料理長に抜擢された方だそうで、その腕は格別、本場における激烈な料理戦争に勝ち抜いておられる現役です。
それだけに、その和風創作料理は、驚くものばかりであり、その味も格別にすばらしいものでした。
その料理は、全部で十数品、次々に出されてくる逸品料理に驚きの連続でした。
しかし、一皿に料理に感嘆し、その味のすばらしさに浸っていると、それが、次の皿において打ち消され、新たな感嘆が生まれる、そしてその味に頭が奪われてしまう、この連続でした。
この流れが狂って逆流が起こるとすべては台無しになってしまうのでしょうから、この流れをしっかり決めるのも料理長の腕のひとつなのでしょう。
このあまりにもすばらしい料理と味のせいでしょうか、仕事の話は、自ずとそっちのけの状態になっていきました。
これは自然の流れ、押し留めようと思ってもできるものではなく、致し方ありませんね。
そこで、ここは、この流れに身を任せることにして、互いに、このみごとな料理を楽しむことにしました。
折角ですので、そのなかでもとくに印象に残った料理を2つ、3つ紹介しておきましょう。
その第1は、ふっくらした色よいピンク色のミョウガでした。
それがひとつだけ皿の隅にありました。
「このミョウガの下には何があるのだろうか?」
これを摘まみ、裏が見えて驚きました。
そこには小指大の寿司飯が結ばれていました。
このやや酢の効いた飯とミョウガのパリパリ感、そしてその香りがよく合い、みごとなアンサンブルを呈していました。
「これが、ミョウガ鮨なのか」
第2は、チマキでした。
このなかに、いったい何が入っているのか、想像力が掻き立てられました。
これを丁寧に開いてみると、同じくすし飯に穴子が薄く巻き付けられていました。
これも、すし飯と穴子の絶妙のコンビネーションが図られていました。
最後は、私どもが既に送付していたセロリでした。
そのNさんとは、電話で次のような会話を行っていました。
「セロリがもう終わりかけていますが、それでもよかったら送りましょうか。今は、丁度、セロリの花が咲いていています」
こういうと、Nさんは吃驚されて、
「ぜひ、送ってください。お願いしたします」、という返事がありました。
おそらく、セロリの花は初めてのことであり、これが彼の料理心に火を点けたのだと思います。
こちらとしては、何気なく行ったつもりでしたが、先方の受け留め方はまったく違っていました。
世のなかには、このようなこともあるのですね。
そのN料理長は、このセロリの花を受け取られてから、さぞかしいろいろと試されたのでしょう。
そして私の目の前に出てきたのは、いわゆるセロリの「味噌和え」でした。
これをまず、油で炒めてみたそうです。
すると、色も味も変わらないことに驚かれ、白みそ他で和えた作らたそうです。
隣の相棒(YO)が、これを一口摘まむと、驚きの声を発しました。
明らかに、その驚きの味に遭遇して興奮していました。
長年私と付き合ってきましたので、彼の舌は相当に鍛えられていますので、旨いものに対しては鋭敏になっています。
そ感嘆を耳にしながら、私もそれを味見すると、たちまち、私の心も大きく揺れ動きました。
とろっとした甘い白味噌にセロリの花の粒粒の食感が絶妙であり、「これはすばらしい!」と私も唸り声を上げたくなるほどでした。
「へえー!、これがセロリの花ですか。おいしいですね」
私の左隣の食通が声を上げました。
その向かいの若い女性社員は、
「これが、佃煮のように瓶詰にされて売られていたら必ず買います」
といっていました。
「セロリは、もう終わりだから、早々に始末しようか」
と思っていたのですが、じつは、とんでもない宝物であったことを思い知りました。
幸いにも、このセロリの花は、いまだ、かなり残っていますので、これから、少し楽しみが増えたように思いました。
その道のプロに出会うと、なんでもないと思っていた食材がみごとに活かされるのですね。
その意味で料理とは真にふしぎなものである、とつくづく思い知らされました。
セロリの白い小さな花、これに初めて出会い、よい勉強になりました(つづく)。
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