本日は、朝から強い風が吹きすさび、寒さが戻ってきたようです。

 そのメインは、液肥づくりと、それをすべての水槽に供給する作業でした。

 気温が上がり、植物が活発に成長し始めましたので、自ずと液肥の消費量も増えてきましたので、この作業も、みんなで手分けするにふさわしいものとなりました。

 大小の水槽を併せると、その数は、16にもなりますので、このすべてにおける液肥づくりと、その供給には、ちょっとした作業が必要になっています。

 これから、より温かくなってきますと、液肥の消費量が徐々に多くなってきますので、この作業をより頻繁に行うようになるでしょう。

   そのコツは、一人で無理して作業をせずに、みんなで分担して協力することにありますので、これからも、その励行に努めたいと思います。

 さて、栄えある3000回記念の記事も、本日で30回目を迎えることになりました。

 その記念の第1回は2017年の10月30日でした。

 以来、半年弱の月日が経過しました。

 振り返れば、11月に基礎工事が始まり、12月に棟上げ、そして12月下旬に屋根材と壁材の取り付けが行われました。

 その後、緑砦館の内部に水路が、Cレーン、Aレーン、Bレーンの順に設置され、それぞれの栽培が開始されました。

 折から、この栽培は冬の季節でしたので、外は真冬でよく雪が降るなか、中は春のようにぽかぽかの状態となりました。

 野菜を含む植物にとっては、一足早く春の訪れが可能になったわけで、そこから、緑砦館の「春物語」が繰り広げられることになりました。

 
「春よこい」が「春がきた」になり、その過程で、じつにおもしろくゆかいな物語が繰り広げられることになり、その饗宴は、じつにすばらしいものでした。

 ここでは、それらを逐一紹介するわけにはいきませんが、この3000回記念の物語を終えるにあたり、私にとって非常に重要な収穫となった事例のいくつかを示しておくことにしましょう。

 その第1は、地元産の植物の栽培に関することです。生活用品や工芸品として古くから利用されてきましたが、その栽培が難しく、今や「風前の灯」の事態を迎えています。

 最近、この事情に詳しい方に現在の状況をヒヤリングしたところ、この生産と販売は、ますます厳しくなっているようです。

 少し前においては、栽培農家が6、7人、それらを併せた生産額は3000万円だったそうですが、直近は、栽培農家が5人、生産額は1800万円に減少したとのことでした。

 古くは、江戸時代の杵築藩の侍が沖縄から苗を持ち帰ったことから栽培が始まり、最盛期には、畳にして500万枚分を生産していたそうです。

 これを畳1枚分を今の価格で1万円とすれば、総額で500億円になります。

 これを昔のように再現できれば、立派な地場産業になりますが、それが、いよいよ「風前の灯」状態に陥り始めています。

 「これは何とかしなければならない!」

 6年前に国東に移住してきて、最初に痛感したことが、この植物の新しい栽培法を見出し、確立することでした。

 「だれも、光マイクロバブルによる水耕栽培を試した人はいない!」

 こうなると、私は、「マイクロバブルはかせ」として俄然やる気が出てくるタイプですので、「試しにやってみようか」と思い始めていた矢先に、幸運にも苗を2、3株いただいたことが、その始まりでした。

 手作りの水路に、この苗を入れると、予想以上にすくすくと育つではありませんか。

 「ひょっとしたら、光マイクロバブルは、この植物と相性がよいのかもしれない?」

と思って、その栽培に詳しい専門の方に聞いてみました。

 そしたら、逆に、その栽培植物について質問されました。

 「花は、咲いていますか?咲いているとしたら、いつ頃咲きましたか?」

 こう、尋ねられても、その返答ができませんでした。

 それは、花がどんなもので、いつ咲くのかも知らなかったからでした。

 よく聞いてみると、その花が咲く季節を約2か月過ぎてもほとんど咲いておらず、12月になっても、いまだ成長過程にあることが明らかになりました。

 12月になっても花が咲かない、これは、専門家のみなさんにとってとてもふしぎなことのようでした。

 違いは、1)光マイクロバブル栽培であること、2)水耕栽培であること、3)ハウス栽培であることの3つにありました。

 「もしかしたら、光マイクロバブル栽培が有効なのかもしれない」

 こう思うようになり、翌年からも、その栽培を継続することにしました。

 また、この栽培に関する理解者も出現し、収穫した植物のサンプルも作成していただきました。

 このサンプルは、2年目、3年目と作成することになり、とくに後者においては、広くて長いものも作成されました。

 しかし、一方で、この植物栽培の難しさに遭遇することにもなりました。

 その4年目には、約20日間の長雨があり、この間一度も太陽が顔を見せることがありませんでした。

 すでに収穫サイズまで成長していたのですが、もう少し成長を遂げてからと思って、この長雨の最中も栽培を続行したのがよくありませんでした。

 この天候不順で、みるみるうちに枯れはじめ、収穫ができないという事態に追い込まれました。

 翌年は、この教訓を生かして、梅雨前に収穫しようと栽培を継続していましたが、ここで約10日間の沖縄旅行をしたのがよくありませんでした。

 この直前に、病気の苗を水路に移植したのがよくなく、それが蔓延して、帰ってきたときには、すべて枯れ始めていました。

 こうして、2年続けて、収穫サイズまでは成長したものの梅雨入りの前に収穫を済ますことができずに失敗してしまいました。

 このような経験をしてみると、この植物栽培の困難さがよく理解できるようになりました。

 「これでは、少なくない方々が失敗するのも無理はない」

 何事も失敗を重ねないと、そのブレイクスルーはできない。

 そのことを、いやというほど噛みしめることになりました(つづく)。

niouzou
岩戸寺の仁王像