去る12月20日、第29回マイクロバブル研究会が開催されました。
今回は、前回に続いて、徹底討論「地域を、どう再生させるのか」をテーマにしました。
そのせいもあって、今回も議論が沸騰しました。
最初の話題は、和気清麻呂伝説にちなんでの話でした。
地元国東のある歴史研究者の話によれば、和気清麻呂が国東を訪れたことがあるとのことで、それにまつわる逸話が紹介されました。
かれは、時の政府にとっては要人であり、左遷されて九州の地まで辿り着いたそうです。
九州に流された偉人としては、菅原道真と和気清麻呂が有名です。
前者は太宰府天満宮が有名ですが、現地でのガイドの説明によれば、かれが馬車で、この地を訪れた時に、粘土質の土に車輪が埋まってしまい身動きが取れなくなってしまったそうです。
しかたなく、かれは、そこに留まり、居所にしたとのことで、それが太宰府天満宮の始まりと聞いています。
中央からお偉い方が来られたということで、地元の方は大歓迎、野菜や果物、米など食料を提供し、おまけに女性の接待もなされたそうです。
そのため、道真公は気分をよくされたのでしょう。かれが都に返ってからも、各地で清麻呂公由来の子孫が出現したそうです。
後者の和気清麻呂公は宇佐神宮と縁があったようで、僧侶道鏡たちの策略を見破ります。
この事件のこともあって、宇佐神宮には大きな清麻呂公の立像が安置されています。
この宇佐と国東は、車で1時間の距離にありますので、修行僧たちが集う聖地に清麻呂公がきたということは大いにありうることです。
今でも、その子孫の方々がおられますが、その方が、非常におもしろい話題提供をなされていました。
それは、和気清麻呂が居住していたといわれている土地のことです。
ここの地名がいつしか「金涌(かねわく)」と呼ばれるようになり、その隣接地も「金脇(かねわき)」とのことで、ここにロマンがあるというのです。
研究会では、その「金」が鉄なのか、それともゴールドの金なのかをめぐって大いに議論が沸騰し盛り上がりました。
地元の歴史研究家によれば、昔、この国東地方では製鉄用の砂鉄が採取されていたそうです。
周知のように弥生時代には、すぐれた土器づくりや製鉄の技術が発展しており、ここ国東においても、それが普及して発展していた可能性があります。
また、この金涌地区の近くには「弥生の里」があり、こことの関係で「たたら」のような製鉄業が営まれていた可能性は大いにあり得ます。
一方、それがもしかして後者の場合であれば、このゴールドロマンは、ますます色めき立つことになります。
「もしかして、和気清麻呂の隠し財産の金だったら、どうされますか?」
「それは、ファンドにして、国東の有望な企業に使ってもらいます」
「それはいいですね。金涌の金がゴールであることを大いに期待します」
「今度、一度、行ってみたいですね」
誰しも、このようなゴールドロマンのような話には興味があったのでしょうか、それからもしばらくは、この話に花が咲きました。
さぞかし、みなそれぞれが、頭のなかで「ゴールドロマン」の物語を思い浮かべていたのだと思います。
この話がひとまず落ち着いてから、本来の「地域再生」についての話題に移っていきました。
この鍵は、若手が地域で創業あるいは起業ができて、地域に根ざして頑張れるようにすることにある、これについて再び熱い議論が展開されることになりました。
「これについては、何といっても七島イを地場産業にするという問題が重要ですね。かつては、世界農業遺産に認定されたこともあり、これを地元の重要な産業にしたいという自治体関係者の希望が随分と語られていました」
「しかし、今頃はあまり聞こえてきませんね」
「むしろ、若い七島イ栽培農家の方々の生計がなかなか大変という話はありますが、実際は、どうなっているのでしょうか?」
「先日、子供の頃に七島イの作業を手伝っていた農家の方が、七島イをいまやれといわれても、それだけは勘弁してください、と仰られていました。よく聞いてみると、夏の暑い時の作業が大変だったとのことでした」
「なんとか、七島イ栽培のイノベーションを起こすことはできないのですか?」
「そのイノベーションについては、まず、実験室での小規模栽培の段階、その次に、その成果を踏まえてのやや規模を拡大させた実証段階、そして最後に、事業化を想定した規模でのプラントづくりの段階の3つが考えられます。
いくつかの失敗はありましたが、最初の段階での成果がかなり蓄積されてきましたので、これから、次の段階にどう進むのかを検討しているところです」
「その事業化の際に、採算ベースをどう確保するのか、その見通しはいかがですか?」
「そこが一番むずかしい問題です。
これは、趣味程度、あるいは同好会程度で達成できるほど簡単なものではありません。
技術的にも、これまでにない質の高いブレイクスルーを実現しないと実現できないことではないかと思っています」
「だから、だれもやろうとはしない。
最も肝心な栽培技術におけるイノベーションの研究はなしに、栽培された後の七島イを売ろうとすることには熱心な方々もおられるようですが・・・」
「やっぱり、七島イ農家が立派に食べていけるようにならないと、本当の産業になることはできないでしょう。
沖縄では、沖縄産のイグサはすべて県が高い価格で買い上げ、県営住宅に使っているというじゃないですか。
その保証があるから、沖縄の若者も頑張ってイグサを育てることができるのだと思います。
大分県も国東市も、この沖縄の先例を学ぶ必要があります」
「その通りです。
国東産、すなわち大分産の七島イを市営住宅や県営住宅に採用するなることが、世界の農業遺産における自治体の下支えになります。
私も、機会があるごとに、そのことを訴えていきたいと思います。
その保証だけでなく、その栽培技術のイノベーションと産業化におけるイノベーションの両方を実現させるには、大分県や地元の専門家の方々の知恵を集約させた研究組織、そしてそれを発展させた事業化組織づくりが不可欠といえます。
この組織が核となって、地元の農家の方々や七島イ加工屋、そして販売屋、工務店、購入者などのみなさんとの協力関係を築いていく必要があります」
「そうなるとすばらしいですね。しかし、夢のような話に聞こえますが・・・」
「そうですね。夢で終わらないようにしなければなりませんね」
このようにして、この七島イ談義も盛り上がりました。
また、これに関連して、現在建設中の株式会社ナノプラネット研究所の植物ハウスの様子も紹介されました。
そして、このハウスが、これまでの農業にどのような影響を与えるのかについても討議がなされましたが、このハウスについても、みなさんの関心と興味は深いようでした。
こうして、今回も予定の終了時間を1時間オーバーして散会したの21時過ぎになっていました(つづく)。
真冬に紫陽花
約2週間前に左官屋さんが紫陽花の花一輪を持ってきてくださいました。お宅の庭に咲いていたといっておられました。それを光マイクロバブル水槽に挿して経過を観察しました。驚くことに、まだ葉っぱの形を維持して生きているようです。不思議ですね。
今回は、前回に続いて、徹底討論「地域を、どう再生させるのか」をテーマにしました。
そのせいもあって、今回も議論が沸騰しました。
最初の話題は、和気清麻呂伝説にちなんでの話でした。
地元国東のある歴史研究者の話によれば、和気清麻呂が国東を訪れたことがあるとのことで、それにまつわる逸話が紹介されました。
かれは、時の政府にとっては要人であり、左遷されて九州の地まで辿り着いたそうです。
九州に流された偉人としては、菅原道真と和気清麻呂が有名です。
前者は太宰府天満宮が有名ですが、現地でのガイドの説明によれば、かれが馬車で、この地を訪れた時に、粘土質の土に車輪が埋まってしまい身動きが取れなくなってしまったそうです。
しかたなく、かれは、そこに留まり、居所にしたとのことで、それが太宰府天満宮の始まりと聞いています。
中央からお偉い方が来られたということで、地元の方は大歓迎、野菜や果物、米など食料を提供し、おまけに女性の接待もなされたそうです。
そのため、道真公は気分をよくされたのでしょう。かれが都に返ってからも、各地で清麻呂公由来の子孫が出現したそうです。
後者の和気清麻呂公は宇佐神宮と縁があったようで、僧侶道鏡たちの策略を見破ります。
この事件のこともあって、宇佐神宮には大きな清麻呂公の立像が安置されています。
この宇佐と国東は、車で1時間の距離にありますので、修行僧たちが集う聖地に清麻呂公がきたということは大いにありうることです。
今でも、その子孫の方々がおられますが、その方が、非常におもしろい話題提供をなされていました。
それは、和気清麻呂が居住していたといわれている土地のことです。
ここの地名がいつしか「金涌(かねわく)」と呼ばれるようになり、その隣接地も「金脇(かねわき)」とのことで、ここにロマンがあるというのです。
研究会では、その「金」が鉄なのか、それともゴールドの金なのかをめぐって大いに議論が沸騰し盛り上がりました。
地元の歴史研究家によれば、昔、この国東地方では製鉄用の砂鉄が採取されていたそうです。
周知のように弥生時代には、すぐれた土器づくりや製鉄の技術が発展しており、ここ国東においても、それが普及して発展していた可能性があります。
また、この金涌地区の近くには「弥生の里」があり、こことの関係で「たたら」のような製鉄業が営まれていた可能性は大いにあり得ます。
一方、それがもしかして後者の場合であれば、このゴールドロマンは、ますます色めき立つことになります。
「もしかして、和気清麻呂の隠し財産の金だったら、どうされますか?」
「それは、ファンドにして、国東の有望な企業に使ってもらいます」
「それはいいですね。金涌の金がゴールであることを大いに期待します」
「今度、一度、行ってみたいですね」
誰しも、このようなゴールドロマンのような話には興味があったのでしょうか、それからもしばらくは、この話に花が咲きました。
さぞかし、みなそれぞれが、頭のなかで「ゴールドロマン」の物語を思い浮かべていたのだと思います。
この話がひとまず落ち着いてから、本来の「地域再生」についての話題に移っていきました。
この鍵は、若手が地域で創業あるいは起業ができて、地域に根ざして頑張れるようにすることにある、これについて再び熱い議論が展開されることになりました。
「これについては、何といっても七島イを地場産業にするという問題が重要ですね。かつては、世界農業遺産に認定されたこともあり、これを地元の重要な産業にしたいという自治体関係者の希望が随分と語られていました」
「しかし、今頃はあまり聞こえてきませんね」
「むしろ、若い七島イ栽培農家の方々の生計がなかなか大変という話はありますが、実際は、どうなっているのでしょうか?」
「先日、子供の頃に七島イの作業を手伝っていた農家の方が、七島イをいまやれといわれても、それだけは勘弁してください、と仰られていました。よく聞いてみると、夏の暑い時の作業が大変だったとのことでした」
「なんとか、七島イ栽培のイノベーションを起こすことはできないのですか?」
「そのイノベーションについては、まず、実験室での小規模栽培の段階、その次に、その成果を踏まえてのやや規模を拡大させた実証段階、そして最後に、事業化を想定した規模でのプラントづくりの段階の3つが考えられます。
いくつかの失敗はありましたが、最初の段階での成果がかなり蓄積されてきましたので、これから、次の段階にどう進むのかを検討しているところです」
「その事業化の際に、採算ベースをどう確保するのか、その見通しはいかがですか?」
「そこが一番むずかしい問題です。
これは、趣味程度、あるいは同好会程度で達成できるほど簡単なものではありません。
技術的にも、これまでにない質の高いブレイクスルーを実現しないと実現できないことではないかと思っています」
「だから、だれもやろうとはしない。
最も肝心な栽培技術におけるイノベーションの研究はなしに、栽培された後の七島イを売ろうとすることには熱心な方々もおられるようですが・・・」
「やっぱり、七島イ農家が立派に食べていけるようにならないと、本当の産業になることはできないでしょう。
沖縄では、沖縄産のイグサはすべて県が高い価格で買い上げ、県営住宅に使っているというじゃないですか。
その保証があるから、沖縄の若者も頑張ってイグサを育てることができるのだと思います。
大分県も国東市も、この沖縄の先例を学ぶ必要があります」
「その通りです。
国東産、すなわち大分産の七島イを市営住宅や県営住宅に採用するなることが、世界の農業遺産における自治体の下支えになります。
私も、機会があるごとに、そのことを訴えていきたいと思います。
その保証だけでなく、その栽培技術のイノベーションと産業化におけるイノベーションの両方を実現させるには、大分県や地元の専門家の方々の知恵を集約させた研究組織、そしてそれを発展させた事業化組織づくりが不可欠といえます。
この組織が核となって、地元の農家の方々や七島イ加工屋、そして販売屋、工務店、購入者などのみなさんとの協力関係を築いていく必要があります」
「そうなるとすばらしいですね。しかし、夢のような話に聞こえますが・・・」
「そうですね。夢で終わらないようにしなければなりませんね」
このようにして、この七島イ談義も盛り上がりました。
また、これに関連して、現在建設中の株式会社ナノプラネット研究所の植物ハウスの様子も紹介されました。
そして、このハウスが、これまでの農業にどのような影響を与えるのかについても討議がなされましたが、このハウスについても、みなさんの関心と興味は深いようでした。
こうして、今回も予定の終了時間を1時間オーバーして散会したの21時過ぎになっていました(つづく)。
真冬に紫陽花
約2週間前に左官屋さんが紫陽花の花一輪を持ってきてくださいました。お宅の庭に咲いていたといっておられました。それを光マイクロバブル水槽に挿して経過を観察しました。驚くことに、まだ葉っぱの形を維持して生きているようです。不思議ですね。
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