連続対談の第1回目は、次の7つの柱に沿って進められました。

 1.5年前に大成邸(西邸)を建築するようになった「いきさつ」

 2.西邸建築が「きっかけ」となって、この5年で何が起きたのか

 3.緑砦館(東邸)も山中さんに依頼

 4.緑砦館建築プランづくり

 5. 再び試されることになった「オープンシステム」

 6.緑砦館の特徴をどう生かすのか

 7.今後の展望と課題

 対談の詳しい内容については、後に発行される「対談レポート」に示されますので、ここでは、その概要についてのみ触れることに留めておきましょう。

 5年前に新築した大成邸については、2011年の8月になって山中省吾さん(当時は山中設計代表取締役)に建築設計の依頼を行いました。

 当時、私はT高専に在職していて、定年退官を迎える最後の年に、東日本大震災の震災復興に関する緊急支援プログラムを実施していました。

 周知のように山中さんの会社は鳥取県の米子市にありました。また、私が住んでいたのは山口県の周南市、そして新たに新築する場所は大分県の国東市であり、この3者の地理的関係は最悪に近いものでした。

 しかも、山中さんにとっては、大分県には知り合いの建築士や大工さんがいなかったので、私の依頼を受けた山中さんは、それを引き受けるのは難しい、「断るしかない」と思われていたそうです。

 その請負を渋っていたかれを、なんとか説得し、引き受けていただくことができましたが、これには、運命的な出来事もあり、そして、いくつもの新たな挑戦があったようでした。

 かなりの遠隔地での家づくりを、かれが考え出したオープンネットという手法を、どう適用したらよいのか、また、それを生かして、どう実際に家づくりを行うのか、これには大きな問題がたくさんあったとのことでした。

 しかし、この問題を実践的に解決し、新たな家づくりを契機となり、その成功が、その後の発展の契機になったというのですから、これは単に家を造ったということではありませんでした。

 一方、私どもも、国東という新天地での再スタート、しかし、病気での長期入院、起死回生の大型補助金を得ての研究開発、じわじわと広がっていった地域での取り組みなど、まさに山あり谷ありのなかでの苦労が少しずつ実り、遂には念願の大成研究所を新築することを決心するに至りました。

 「今度も山中さんに頼もう!」

 こう決めて、緑砦館(南棟の大成研究所兼音楽サロン、北棟の住居と研究室、中庭の植物ハウス)の設計に入りました。

 これにも様々な問題がありましたが、幸いにも、それらを何とかブレイクスルーすることができました。

 そして、再び、緑砦館建築において「オープンシステム」がより高次元な段階において問われることになりました。

 すでに、5年前に始まった遠隔地でのオープンシステムを用いた家づくりは全国各地に広がっており、実績も相当数積み上がってきていましたので、山中さんは、この緑砦館づくりを契機に、再度、そのシステムを見直す時期がやってきたことを強調されていました。

 
私も、今回は、直に、その家づくりに接し、そのシステムの良さと問題点を肌で経験することができました。

 
「オープンシステムのダイナミズム、これを生かすも殺すも、施主、設計士、専門業者の3者の関係を、どう上手く動かすかにある!これはおもしろくもあり、恐くもある」

と思いました。

 最後に、互いの課題と展望を語り合い、あっという間に、充実の2時間余が過ぎてしまいました。

 久しぶりに、レベルの高い知的対談を行うことができました。

 山中さん、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます(この稿おわり)。

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対談会場になった緑砦館南棟(右側の部分がセミナー室)