「専攻科設置によって高専は発展するのか」をめぐって、高専の内的発展に関する初めての本質的な議論が開始されました。

 すでに述べてきたように、その議論の爆発の導火線となったのが、「専科大学」の根拠となった「危機論」であり、その発火力をより強めさせたのが、その「挫折と騒動」だったのではないでしょうか。

 結局のところ、自分たちで考え、そして、それを創り上げていくしかない、この思いが、その内的発展法則を明らかにしていくことに結びついていきました。

 「もともと、高専は完成教育を行うところだから、専攻科は不要ではないか」、「どうせ、今回もまた上から押し付けられて、現場の席には私たちに負わせてしまうに違いない」、「高専は教育機関であり、研究を行う専攻科は高専に適さないのではないか」、「仕事が増えるだけで、さらに忙しくなる」など、

 このような声が続々と発せられるようになりました。

 そのなかには組合運動を行ってきた古い立派な幹部において、この不要論に与していた方もいて、ここには、相当に根深い強固な問題が横たわっているのではないかと思いました。

 「この専攻科不要論に立ち向かうには、どうすればよいのか?説得力ある専攻科必要論の中身を、どう構築していけばよいのか」

 これを実践的に叩き上げて、どう理論武装化していくのか、これには真摯で粘り強い洗練の努力が必要でした。

 その第1は、「専攻科がぜひとも必要である」という素直な思いを、そのまま訴えかけることでした。

 高専教育において最も重要な科目は卒業研究である、これによって高専生が大きく成長できる、私は、このように思って、卒業研究生と一体になって共同の研究活動を行っていました。

 おそらく、高専教員であれば、これに賛同できない方はおられないでしょう。

 問題は、そのやり方と到達目標の設定の仕方と、その達成度にありました。

 卒業研究を終えて、めでたく卒業生を送ったあとに、私の脳裏に、次の後悔が毎年のように襲ってきました。

 「せめて、あと1年、あるいは半年でもよい。その時間を与えてくれるのであれば、かれらは、その期間において、もっと飛躍的に成長できたであろう。高専では、やっと立派にできたという段階で世の中に送り出すのであるから、これは、とても辛いことである。

 このような辛い思いをしなくて済む、高専を卒業して2年という長い歳月において専攻科生と共同で、しかも高専生も一緒に教育研究ができる、これは夢のような出来事ですよ。この夢が叶うのですから、こんなうれしいことはありません」

 こう正直な思いを吐露すると、さすがに面と向かっての反論はありませんでした。

 しかし、インパクトが多少あっても、そして反論はなくても、かれらが、その見解を真から受容することに至ることはありませんでした。

 正直、それは、その心情を示したにすぎず、それで高専が、どのように発展するのかを十分に明らかにしたことにはなりませんでした。

 かれらをさらにより深く納得するには、高専自身の内的発展の可能性をより具体的に示す必要があり、さらには、その内的発展の法則をも明らかにすることが求められていました。

 これが、第2の課題でした。

 それでは、「高専における内的発展法則」とは、いかなるものなのでしょうか?

  それは、「高専の総体を自前で発展させる」ことを意味していました。

 より具体的には、高専における専攻科設置によって、その専攻科と本科を共に立派に発展させることでした。

 次回は、その発展論をより深く究明することにしましょう(つづく)。
 
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