今回の沖縄行きで、名護市に2度訪問する機会がありました。

 その折、中心街にある「ひんぷんガジュマル」を見学することができました。

 運よく、現地にはボランティアのガイドさんがいて詳しい説明を受けることができました。

 このせいもあり、このガジュマルについて、かねてから抱いていた疑問のいくつかが晴れることになりました。
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名護のひんぷんガジュマル

 ①なぜ生命力があり、380年以上も生き続けているのか?

 ②なぜ、道路のど真ん中に生えているのか?

 ③なぜ、「ひんぷんガジュマル」というのか?


 ①の理由は、それが川と海のすぐ傍にあり、塩分を含む水分を常時吸い上げて成長できたことにありました。

 この写真からも明らかなように、本ガジュマルは、上にも横にも伸びて青々としています。

 あまりにも伸びすぎて、自分で支えられなくなり、最近、3000万円をかけて補強の鉄骨を組み入れたそうです。

 ガジュマル木の傍を流れる川と優雅な橋の様子も示しておきましょう。向かって、すぐ左にガジュマルの木があります。

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                          幸地川に架かるあなだ橋

 ②については、もともとは、道路の端に生えていたそうで、上記の写真の左側の道路はなかったそうです。

 このガジュマルの木が大きくなって名物になったこともあり、その左側も通行できるようにしたそうで、その傍には、片側通行時代の写真も示されていました。

 さて、その街路樹のもともとの木は、ガジュマルではなく松の木だったそうです。

 この名護一帯は松の木の名所であり、那覇から名護に入る際に、この松並木が綺麗だったころもあったようです。

 その松の木が道路の傍に生えていて、これにガジュマルが巻き付いて周囲を覆うようになって成長していったそうです。

 これを現地の人々は、ガジュマルの「締め殺し」と呼んでいます。松の木にガジュマルが寄生し、その周囲を覆いながら何十年という時間を経て巻き付き、成長して最後には、中央の松の木を枯らせてしまい、口落ちた中には空洞ができて、ガジュマルの木のみが立つようになっているとのことでした。

 同様の「絞め殺し」の実例が、すぐ傍にもありました。ここでは、フクギに絡みついたガジュマルが大きく育っていましたが、この段階では、真ん中のフクギも生きていて共生の状態でした。

 このガジュマルが生えている通りは、道幅が非常に広く、昔は馬場だったそうで、名護では一番の繁華街だったそうです。

 その起点がひんぷんガジュマルであり、その馬場は西に数百メートル続き、その付近に商店街が形成されていました。

 その意味で、名護市民にとっては、このガジュマルは、その歴史を見てきた証人でもあり、ここに神が宿り、キジムナーが遊んでいて、それが見える観光客の子どもいるとのことでした。

 ③は、「ひんぷん」という言葉の由来についてです。

 上記の写真に写っていますが、ガジュマルの木の前に、古い碑が建てられています。

 この碑の形が「ひんぷん」によく似ていることから、そのように呼ばれるようになったそうです。

 「ひんぷん」とは、家の門をくぐって前に進む際に、その前に立てられている壁のことで、これは風よけのために設けられたものでした。

 同時に、開放的な沖縄の家にとっては、中の様子を見られないようにするための壁でもあり、便利なもので、大きな旧家には必ず、この「ひんぷん」が設けられていました。

 碑文の内容は、那覇を中心にした王族尚家と名護の豪族とのやり取りが書かれているそうで歴史的にも重要な価値があるものだそうでした。

 おかげで長年の謎が解け、この日の空のように、すっかり青く澄み切り、心は晴れわたっていました。

 長い時間をかけてたくましく生き抜くガジュマル、その生態に力強さと粘りを感じました
(つづく)。

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                      フクギに絡め付いたガジュマル