本日は、沖縄2日目、早朝から沖縄北部へ向かいました。
まず、沖縄北インターから高速道路で北上、約30分で名護市許田インターに到着、そこから降りて、来週に正規に訪問するO高専に向かいました。
名護市辺野古に設置されている本高専は、学生寮と本校舎を中空の通路で結ばれていることで有名です。
国道を跨ぐ中空の通路、よくこんなことが許されたものです。
当時の政府の関係者が、子の高専設置に熱心であったことが、この通路の設置方法にもよく現れています。
「高専が新設されることはない」と事務当局者が豪語するなかで、「あり得ない」ことが起きての新設でしたので、しかも私も少し、その設置に引き金に相当する布石を行っただけに、それ以降も時あるごとに、ここをよく訪れてきたものでした。
運よく、沖縄北部方面に行くついでがあり、直接高専に覗って来週の訪問日程を調整する方がよいと判断し、急遽の訪問による打ち合わせを行いました。
これを簡単に済ませ、同伴の相棒が辺野古の海岸を訪れるのは初めてだというので、相棒とともに、美しい辺野古の海岸に立ち寄りました。
最初に、ここを訪れてたのは、たしか1974年の秋でした。
砂浜に簡単な鉄条網が張られ、その向こうは基地だと説明され、基地は海岸も占有してしまうのかと違和感を覚えました。
それにしても、この鉄条網だと、基地に入ろうと思えば、簡単に入ることができる、こんなものなのかと牧歌性を覚えたものでした。
ところが、今はどうでしょう。沖の方まで頑丈な柵が設けられ、誰も立ち寄ることができないぞと、周囲を圧倒するような「壁」が形成されていました。
「これが、基地の島沖縄の現実か?」
相棒も複雑な表情で、この壁を眺めていました。
その海岸に朝顔が美しく咲いていました。
この朝顔は、その壁のこちら側でしたから、自由に、そして奔放に咲いていました。
朝顔
この見学を短時間で終え、西側にあるN市役所を訪問しました。
かつて、私が若いころには何度も、この市長室を訪れたことを思い出しました。
市長は不在だったようで、地域振興担当の課長さんと懇談することができました。
このN市は、沖縄北部の中核的存在であり、昔から、ここは文字通りの交通の拠点になっていました。
さて、その地域振興担当の課長さんとは、N市の基幹産業である農漁業、食品加工業を軸として地域に根ざした産業づくりを行うことに重要性について共通の認識を持つことができました。
かつて、ここの市長さんとO高専関係者を交えて、沖縄方部振興の拠点となる地場産業振興センターづくりについて理解を深めたことがありましたが、その重要性は今も変わっていないようで、再度その事を強調いたしましたが、その課長さんも同感のようでした。
時刻は丁度昼時になり、市役所の近くにある有名な沖縄そば屋「宮城食堂」を訪ねました。
ここはかなり有名なそば屋であり、かつては、有名な大きなガジュマルの木がある通りの傍にあったのではないかと思います。
「どう、ここの沖縄そばは美味しいでしょう!」
相棒が感激しながら頷いていました。
あっさりした味で、特徴的な味付けはないのに感激するほどの美味しさがあり、これぞ、味の極致ということができるでしょう。
すでにお客さんが沢山いて、広い店の中は満席に近い状態であり、これによっても人気の高さが示されていました。
奇しくも、今回は二人ともソーキそばを注文し、ソーキの味も抜群でした。
「ちょっと、時間に余裕があるので、許堕の道の駅に寄ってみようか」
ここは人気の道の駅であり、ウイークデイの午後であるにもかかわらず、お客さんがかなりいて駐車場も満杯の状態でした。
なんといっても、ここの名物は、サーターアンダーギィ(砂糖天ぷらともいい、玉状のドーナツといってもよい)であり、早速、これを買いこみ、車のなかで味見しました。
まだ、温かく、外側はさくさく状に揚げられ、なかはスポンジ状に柔らかくなっていて、これらが抜群の組み合わせになっていて、「これは旨い!」と相棒も唸っていました。
その他に、パイナップルの切り身とアーサーを購入、前者も車中でいただき、後者は、夕ご飯でいただきました。
このアーサーとは青海苔のことですが、いつもは汁に入れていただいていました。
しかし、今回は、生でいただきことにし、醤油とシークヮーサーをかけるとこの組み合わせがよく、感激の味でした(つづく)。
まず、沖縄北インターから高速道路で北上、約30分で名護市許田インターに到着、そこから降りて、来週に正規に訪問するO高専に向かいました。
名護市辺野古に設置されている本高専は、学生寮と本校舎を中空の通路で結ばれていることで有名です。
国道を跨ぐ中空の通路、よくこんなことが許されたものです。
当時の政府の関係者が、子の高専設置に熱心であったことが、この通路の設置方法にもよく現れています。
「高専が新設されることはない」と事務当局者が豪語するなかで、「あり得ない」ことが起きての新設でしたので、しかも私も少し、その設置に引き金に相当する布石を行っただけに、それ以降も時あるごとに、ここをよく訪れてきたものでした。
運よく、沖縄北部方面に行くついでがあり、直接高専に覗って来週の訪問日程を調整する方がよいと判断し、急遽の訪問による打ち合わせを行いました。
これを簡単に済ませ、同伴の相棒が辺野古の海岸を訪れるのは初めてだというので、相棒とともに、美しい辺野古の海岸に立ち寄りました。
最初に、ここを訪れてたのは、たしか1974年の秋でした。
砂浜に簡単な鉄条網が張られ、その向こうは基地だと説明され、基地は海岸も占有してしまうのかと違和感を覚えました。
それにしても、この鉄条網だと、基地に入ろうと思えば、簡単に入ることができる、こんなものなのかと牧歌性を覚えたものでした。
ところが、今はどうでしょう。沖の方まで頑丈な柵が設けられ、誰も立ち寄ることができないぞと、周囲を圧倒するような「壁」が形成されていました。
「これが、基地の島沖縄の現実か?」
相棒も複雑な表情で、この壁を眺めていました。
その海岸に朝顔が美しく咲いていました。
この朝顔は、その壁のこちら側でしたから、自由に、そして奔放に咲いていました。
朝顔
この見学を短時間で終え、西側にあるN市役所を訪問しました。
かつて、私が若いころには何度も、この市長室を訪れたことを思い出しました。
市長は不在だったようで、地域振興担当の課長さんと懇談することができました。
このN市は、沖縄北部の中核的存在であり、昔から、ここは文字通りの交通の拠点になっていました。
さて、その地域振興担当の課長さんとは、N市の基幹産業である農漁業、食品加工業を軸として地域に根ざした産業づくりを行うことに重要性について共通の認識を持つことができました。
かつて、ここの市長さんとO高専関係者を交えて、沖縄方部振興の拠点となる地場産業振興センターづくりについて理解を深めたことがありましたが、その重要性は今も変わっていないようで、再度その事を強調いたしましたが、その課長さんも同感のようでした。
時刻は丁度昼時になり、市役所の近くにある有名な沖縄そば屋「宮城食堂」を訪ねました。
ここはかなり有名なそば屋であり、かつては、有名な大きなガジュマルの木がある通りの傍にあったのではないかと思います。
「どう、ここの沖縄そばは美味しいでしょう!」
相棒が感激しながら頷いていました。
あっさりした味で、特徴的な味付けはないのに感激するほどの美味しさがあり、これぞ、味の極致ということができるでしょう。
すでにお客さんが沢山いて、広い店の中は満席に近い状態であり、これによっても人気の高さが示されていました。
奇しくも、今回は二人ともソーキそばを注文し、ソーキの味も抜群でした。
「ちょっと、時間に余裕があるので、許堕の道の駅に寄ってみようか」
ここは人気の道の駅であり、ウイークデイの午後であるにもかかわらず、お客さんがかなりいて駐車場も満杯の状態でした。
なんといっても、ここの名物は、サーターアンダーギィ(砂糖天ぷらともいい、玉状のドーナツといってもよい)であり、早速、これを買いこみ、車のなかで味見しました。
まだ、温かく、外側はさくさく状に揚げられ、なかはスポンジ状に柔らかくなっていて、これらが抜群の組み合わせになっていて、「これは旨い!」と相棒も唸っていました。
その他に、パイナップルの切り身とアーサーを購入、前者も車中でいただき、後者は、夕ご飯でいただきました。
このアーサーとは青海苔のことですが、いつもは汁に入れていただいていました。
しかし、今回は、生でいただきことにし、醤油とシークヮーサーをかけるとこの組み合わせがよく、感激の味でした(つづく)。
許田の銘菓
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