毎週火曜日は、12時から弁当屋さんに注文した弁当を食べての昼食会を開催し、その後にアグリ作業を行うことになりました。

 先の火曜日(18日)が、その第1回の昼食会、その弁当は鱒の塩焼きと納豆他であり、その値段は390円でした。

 食べてみると、値段の割に意外と美味しく、それぞれ8種類のおかずの味がどれもよく、楽しい昼食の一時を過ごすことができました。

 「このおいしさと値段であれば、毎週頼んでもよさそうですね」

 「それは、いいですね!」

 まず、女性群の賛成があり、すんなり、その定期的食事会を行うことが決まりました。

 その後、全員がアグリ作業に取り組み、水路の掃除、水入れ、液肥補給、周囲の清掃、苗の土落とし、水槽の整備などが分担して遂行されました。

 これは、関係者のみなさんに、これから取り組むアグリ作業の重要性を体験的に学習し、しかも、それを全員で進める意味も理解していただくことにあります。

 このアグリ作業の特徴は、先行的に努力を行わないと、その成果が収穫に結びつかないところにあります。

 これまでにも、さまざまな経験をしてきましたが、植物は、大切に扱い、その育つ環境を整えてあげない限り、すくすくと育つことはありません。

 また、そこに過誤が含まれていると、さらに成長が阻害されてしまいます。

 じつは簡単なようで難しく、我流でやればやるほど困難な道に迷い込んでしまい、最後には、栽培そのものを諦めてしまうようになります。

 ところが、たとえ素人であっても、なんとか栽培を成功させようと思っておられる方には、逆に植物の方が応えて小さくない収穫を与えてくれるようになります。

 戦時中から戦後にかけては、モノがなく、野菜や食物が簡単には手に入りませんでした。

 このような状況下に置かれると、人間は必死になって食料を確保し、野菜を育てようとします。

 その当時においては、だれもが家庭菜園を持ち、郊外には畑を持つ方も少なくありませんでした。

 幼いころ、母に連れられて、その畑に行き、キュウリやトウモロコシに収穫を手伝ったことがあります。

 その折には、キュウリやトウモロコシを腹いっぱい食べることができました。

 土を耕し、種を撒き、そして雑草を抜くというアグリ作業を幼いころから楽しく体験していたのでした。

 ですから、私にとってのアグリ作業は、その幼いころのことを思い出せることにも結び付いていて、懐かしさがこみあげてくるものでもあるのです。

 私たちは、どういうわけか、前世紀の終わりには、お金さえ出せば、その食物が買うことができるという便利さに浸ってしまい、それを自分で育てて食べるという喜びを忘れてしまうようになりました。

 それゆえに、その大切さを実感し、身に付けるためにも、このアグリ作業が貴重で価値のあることなのです。

 そのアグリ作業の最後においては、ヘチマの収穫を行いました。

 その数は、20数本、合計するとヘチマの総収穫数は100本近くになりました。

 これで当初の目標にほぼ近づいたのではないかと思います。

 これから、料理に使うもの、タワシにした方がよいもの、種を確保するものに分けて、その収穫作業を進めることにしましょう。

 次回は、本シリーズの100回記念を迎えます。

 それにふさわしいテーマと記事の内容を考えてみたいと思っています(つづく)。

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   ヘチマが山盛りになって売られていました(9月11日、名護市JAファーム、筆者撮影)