沖縄3日目は、朝の10時に北中城村にあるプラザハウス(かつてはアメリカ人専用の商業施設だったそうで、現在は日本人にも開放されている)内の喫茶店でK沖縄国際大学名誉教授と面会しました。

 かれとは、かつて私が琉球大学の助手時代に知り合って以来の仲ですから、この40年余、互いに交流を維持・発展させてきました。

 「どうも、現在の沖縄、そして沖縄経済に関する認識が不足していて、腑に落ちるに至っていません。ここはじっくり協議をしていただけないでしょうか」

 「私でよければ、いつでもいいですよ」

 「それはありがたいですね。先日の沖縄訪問以来約1か月間、沖縄の問題にどう分け入り、どう切り開いていくかについて熟考してきました。
 その結果、沖縄問題の基本、沖縄経済の基本構造についての理解が重要であると思うようになりました」


 「そうですか。沖縄のことを、そのように考えていただけることはありがたいことです」
  

 このような会話が始まったのは、9時45分、まだプラザハウスのなかの出店が開店していませんでした。

 ハウスの真ん中にある広場にイスと丸テーブルがありましたので、まずは、私の方から、次のように切り出しました。

 「戦後の沖縄経済は、米軍基地に依存していました。

 農業はサトウキビが中心で、亜熱帯気候に則した新しい農業を生み出すことが重要な課題でした。

 また、本土並みの第二次産業の発展をめざしましたが、これはなかなか困難な課題でした。

 本土においては、重化学工業を中心にした製造業が形成され、それを基礎にして電気機械産業が発展しましたが、それも21世紀になって低開発国の追い上げに合い、衰退をみせるようになりました。

 しかし、沖縄においては、その地理的に不利な条件も加わって、大規模な重化学工業とそれに続く電気機械産業の形成は実現されませんでした。

 代わりに、沖縄振興経費を梃子にした『箱もの』づくりで土建業が栄え、同時に、流通や小売り、そして観光という第三次産業の発展が成し遂げられるようになりました。

 こうして基地依存経済からの脱却は、部分的ですが、沖縄振興経費を軸とした土建業や第三次産業の進展によってなされることになりました。

 しかし、農業については、つい最近、この2、3年、サトウキビの生産量が伸びて過去最高の約1100億円に近づいているという報道にあるように、それから脱却するのではなく逆にますます依存するという状況に陥っていることが明らかです。

 すなわち、これは長年の課題であった農業改革が思うほど進んでいないことを示唆しています。
 ここまでは、よいでしょうか?」

 
 「はい、その通りだと思います」

 時間は、すでに10時15分を過ぎていましたので、場所をケンタッキーフライドチキンの店に移ることにしました。

 ここには、対面できるソファーがあり、座り心地がよく、コーヒーを飲みながら話すには最適の場所だと思っていました。

 この店のなかは、冷房が効いていて、朝も早いせいか、お客さんがほとんどいませんでした。

 「ここは、よく冷えていて、涼しいですね」

 「沖縄は、どこにいっても暑いので、このように冷房の効いた店にすぐに入り込みます」

 このような会話を行い、互いに飲み物をいただきながら、先ほどの話題に、自然に分け入っていました。

 「結局、基地経済からの脱却は、その主役であるはずの農業では実現されず、もともと脆弱であった製造業を中心にした第二次産業では達成されず、それを担ったのは第三次産業であった、ということでよいのでしょうか。

 一部、沖縄振興費を基にした土建業の発展はありましたが、これも主要な利益は本土の土建業が占めていました」

 「大きな流れとしては、その通りだといえるでしょう。

 かつての沖縄振興費は、土建業以外の他の分野にも使用されていますが、沖縄経済の自立には十分に役立っていませんね」

 「沖縄の農業については、サトウキビからの脱却ができす、かつて、その切り札といわれていた『ラン栽培』が発展せず、その後の有望株として注目されていた菊も期待されていたほどの進展はなく、最近は、その生産量が減少しています」

 「そうですか」

 「はい、私は、沖縄の亜熱帯気候を最高度に生かした技術的なイノベーションを可能にする独創的な技術が必要なのではないかと思います」

 「といいますと?」

 「沖縄の暑さは、直射日光でないかぎり、そんなに高いものではなく、夏の平均気温は28℃程度です。これは海が近いために、その影響を受けているからです。
 私も2年間沖縄に住んでいましたから、暑いというよりも長い、夏の期間が長いということができます。
 ですから、この長さをデメリットとして考えるのではなく、むしろ長いことを生かす知恵と工夫はないのか、そのことを追究することによって、最高水準の技術を開発する、ここに重要な課題があるように思います」

 「となると、これまでのことは何だったのかということになりますね!」

 「その通りです。その吃驚が生まれるほど、それは画期的で、むしろ良い方に転がる可能性が生まれてきます」

 こうしてK名誉教授との意見交換はますます佳境に入って行きました
(つづく)。

miyagisima
宮城島から東南の海を展望