10日間の沖縄小旅行の間にも、「大成研究所」を含む「緑砦館(りょくさいかん)、Green Fort House」の建設は順調に進行していたようです。

 ステコンの上に基礎のコンクリートが上乗せされ、その量は、ミキサー車15台分だったそうです。

このコンクリート使用量は通常の家屋の3倍分だそうで、この上に、建屋の壁の部分に相当する基礎の型枠設置、そして今朝ほどは、その方枠内へのコンクリートの流し込みがなされていました。

 これで、建屋分の基礎工事が終わることになりますので、最初の山は越えたといってよいでしょう。

 それにしても、すざましいほどのコンクリートの量であり、土台の大切さを改めて認識させられました。

 これで、基礎における地震対策はかなりなされたことになりますね。

 さて、前置きはこれくらいにして、新研究所の話に戻りましょう。

 前記事において、その設立目的を明らかにしました。

 やや長い、中長期にわたって、しっかり腰を下ろして取り組む重点課題を想定して系統的な研究を行う時期がやってきました。

 これらは、私が長年温めてきた課題でもあり、この実現こそ、マイクロバブル技術の中核になっていくものと思ってきました。

 換言すれば、マイクロバブル技術の真髄に分け入ることができるかどうかの課題でもありますので、「いよいよここまで来ることができたのか!」と一入ならぬ感慨を隠すことができません。

 これらの詳細についての成果報告は、いずれ時を得て、順次明らかになっていくものと思われますので、読者のみなさまにおかれましては、なにとぞ、ご理解とご高配のほどをよろしくお願いいたします。

 さて、本研究所づくりにおいて、まず問題になったのは、その名称をどうするかでした。

 名は体を表す、昔から、このようにいわれてきました。

 植物ハウスの方は、すでに、その命名が終わっていて「緑砦館(りょくさいかん)、緑(みどり)の砦(とりで)の館(やかた)という意味」と名付けました。

 しかし、研究所の部分については、よく考えていなかったので、その検討はあまり進んでいませんでした。

 「新たな研究所を創るには、それにふさわしい名前が必要になるのではないか」

 このように思いながら、何気なくテレビに目を向けると、北里柴三郎に関する特集番組が放映されていました。

 時は、「伝染病研究所」の所管が、当時の内務省から、東京大学主導の文部省に変わるときで、その名前も実権も大きく変わろうとしていました。

 ここで北里柴三郎は、その所長を辞して、ただ一人で野に下ろうとします。

 誰からも縛られることなく、自由に研究を行う場所を自前で設立し、その名称を「北里研究所」としたのでした。

 当時、北里の下には数十名のスタッフがいて、かれらの生活が維持できるように、北里一人で、その研究所を運営しようとしたのでした。

 ところが、野に下ったのは、北里一人ではなく、そのスタッフ全員だったのです。

 こうして、北里研究所は、だれからも縛られることなく、そして制限も受けずに、互いに信頼を得たスタッフと共に、魚のように、自由に大海を泳ぎ始めたのでした。

 「『北里研究所』」の命名は、みんなで自由に活動する「シンボル」であったのか!」

 このテレビ番組が終わるころには、私の心は決まっていました。

 「『大成研究所』にしよう。北里柴三郎には遠く及びませんが、その精神を学び、引き継ぐことができたら、どんなに幸せであろうか!」

 早速、この決断を(株)ナノプラネット研究所にみなさんにも報告し、諸手を上げての賛同をいただきましたので、それを確定させました。

 幸いにも、わが国には、北里柴三郎先生という、世界に誇るべき大先輩がいますので、その精神をもっと洗練させて深く学ぶ必要があるのではないかと思いました。

 「大成研究所」、ここでマイクロバブル技術の真髄が問われ、磨かれることになるとよいですね(つづく)。

緑砦館20170628
                       基礎ができ上ってきました