甘露茶、それは、お茶の成分と水の甘さを最高レベルにおいて引き出したのではないかと推測しました。
「名水と呼ばれる水で作れば、もっとおいしくなったかもしれませんね」
「お茶の木が育って、わが家でも、そのお茶を作ってみましょう」
「そうですね。自分で無農薬栽培ができて、茶摘みができたら最高ですね」
最後には、二人で、そのお茶を飲み交わしましょうといいながら、K1さんもお茶の苗木を買われて育てようとされましたね。
我が家の裏庭には、アジサイが大きくなりすぎて、その陰に隠れてお茶の木があまり育たなくなりました。
今度それらを、日当たりのよいところに移して、お茶の生垣を造ろうと思っています。
そのお茶が育って、そのお茶で甘露茶ができたら、すぐに第1報を発信しますので、どうか、よろしくお願いいたします。
K1さんとの共同研究における思い出の2つ目は、「国東おさかな便」に関することでした。
それは、私が国東に来て連載を始めた「国東の食環境」をK1さんが読まれたことがきっかけでした。
無類の食通、おいしいもの、めずらしいものを、こよなく愛していたK1さんでしたから、国東の海の幸を紹介した本記事は、すぐにかれの心を射止めることになりました。
ただ読むだけでは物足りなくて、国東まで足を運ばれ、私がいつも行く国東安岐港の魚の競りで、大きな真蛸を喜んで買って帰られたこともありました。
あるとき、福山駅の構内でK1さんと一緒に朝食をいただいたことがありました。
その折、「国東の食環境」の記事の話になり、かれは、この記事をいつも愛読してはいますが、それを読むだけでは満足できなくなった、その記事に出てくる魚を食べたくなった、それを東京まで送ることはできないかという真面目な相談を受けました。
ブログの記事を読むだけでは満足できずに、実際に食べたいと思うような人が出てきた、これは、ブログ記事を書くことの究極の目標を達成したことに相当する、そうであれば、むしろ、その手間以上に価値ある、あるいはむしろ歓迎されるべきことではないか。
「K1さん、それはとてもおもしろいことですね。それが成功したら、現代社会の死角を突いたことになりますね」
そして、私は、K1さんの申し出を次のように受け止めました。
①たしかに、安岐港まで出かけて競りで魚を買うことには、手間も時間もかかることなので、それだけ面倒なことにはなる。
②また、送った魚が悪くなっていたら、それは私の責任になってしまう。
③いくら競りで購入する魚が安いからといって、それを東京まで送って採算が成り立つのであろうか。
この場合、私が利益を得ることはないので、そのボランティアが、いつまで持続できるのか?
④チルド輸送では東京まで2泊3日かかるので、その運送途中で魚が傷んでしまうことはないのか?
これらに問題については、よく考えて、次のようにプラス思考を発揮させることにしました。
①について:私どもが新鮮でおいしい魚を買いに行くと思い、そのついでにK1さん用の魚を買うと思えばよい。むしろ魚を買う機会が増えて、私たちにとっても、それはよいことである。
②について:魚が悪くなるか、そうではなく新鮮なままで届けることができるのかは、実行してみないと解らないことである。私の責任問題を心配する前に、実際に試してみればよいことである。
③について:これについては、K1さんに、直接、東京での魚の購買法と値段など、その事情を聞いて、それが成り立つのかをいろいろな角度から検討する必要がある。
なにせ、「異常に魚の値段が高い東京」へ、「格安の新鮮な魚を国東から送付する」のですから、それを詳しく調べてみると、「これは意外と成り立つ話ではないか」と思うようになりました。
こうして「案ずるよりも産むがやすし」という指向に引っ張られて、そのお魚便が実験的に開始されました。
そのなかで、次の新たな事実が明らかになっていきました。
①2泊3日のチルド輸送であっても、(たとえば、土曜日の午後に送付し、月曜日の朝に玄関先で受け取ることができるようにする)、魚は傷まず、かえって東京地区で買う魚よりも新鮮に感じる。
②魚の梱包材として、単にビニール袋に魚を入れて段ボール箱に詰めるだけでよい(発泡パック詰めではチルド輸送の効果が出にくい)。
③東京地区においては、容易に買えない魚が、国東では簡単に手に入る。たとえば、真蛸、大きなサイズのヒラメや鯛、石餅カレイ、城下カレイなどは買おうとしてもなかなか買えない、そして値段が相当に高い。
④新鮮で、しかも格安の魚を送り、大いに喜ばれる、これは現代社会の盲点を突いた営為であり、これを敢行することはゆかいである。
こうして、最初に若干のトラブルがあったものの、それをはるかに上回る利点が明確になり、これが5回、10回と続いて行くことになりました。
もちろんK1さんやご家族の方々、親戚、そして友人の方々が、送られてきた魚の大きさや新鮮さ、そして最後には格安さと美味しさに吃驚仰天するということが毎回起こっていました。
おそらく、K1さんも、相当に面目躍如で喜ばれたようでした。
そして、そのお魚便の魚を賞味された後には、心のこもった丁寧な、そして独特の評価を含めたメイルの返事が必ず届けられました。
これを毎回読ませていただき、そうか、このような解明と改善点があったのか、いつも参考になり、勉強になりました。
こうして10数回のお魚便を送付し、そのうち、魚だけでなく野菜も加えるようになり、さらにK1さんが目を丸くされて喜ばれることになりました。
とくに、身体が不調になり、食がなかなか進まなくなった折には、格別に、その送付を楽しまれるようになりました。
今振り返りますと、それは単なるボランティアではなく、私にとっての、そのノウハウは、十分に有益であり、参考になった試みとなりました。
K1さん、この試みで得られた成果は、必ず現実化していきますよ。
それにしても、送る、送られるの関係でしたが、それはおもしろく、とてもゆかいなことでした。
ところで、そちらの方はいかがですか?
国東のような新鮮な魚はありますか?
このお魚便、配達が可能であれば、再度実験を試みるのも痛快ではないかと思われますが、いかがですか?
ご検討をよろしくお願いいたします(つづく)。
ホゴ(刺身が最高に旨い)
「名水と呼ばれる水で作れば、もっとおいしくなったかもしれませんね」
「お茶の木が育って、わが家でも、そのお茶を作ってみましょう」
「そうですね。自分で無農薬栽培ができて、茶摘みができたら最高ですね」
最後には、二人で、そのお茶を飲み交わしましょうといいながら、K1さんもお茶の苗木を買われて育てようとされましたね。
我が家の裏庭には、アジサイが大きくなりすぎて、その陰に隠れてお茶の木があまり育たなくなりました。
今度それらを、日当たりのよいところに移して、お茶の生垣を造ろうと思っています。
そのお茶が育って、そのお茶で甘露茶ができたら、すぐに第1報を発信しますので、どうか、よろしくお願いいたします。
K1さんとの共同研究における思い出の2つ目は、「国東おさかな便」に関することでした。
それは、私が国東に来て連載を始めた「国東の食環境」をK1さんが読まれたことがきっかけでした。
無類の食通、おいしいもの、めずらしいものを、こよなく愛していたK1さんでしたから、国東の海の幸を紹介した本記事は、すぐにかれの心を射止めることになりました。
ただ読むだけでは物足りなくて、国東まで足を運ばれ、私がいつも行く国東安岐港の魚の競りで、大きな真蛸を喜んで買って帰られたこともありました。
あるとき、福山駅の構内でK1さんと一緒に朝食をいただいたことがありました。
その折、「国東の食環境」の記事の話になり、かれは、この記事をいつも愛読してはいますが、それを読むだけでは満足できなくなった、その記事に出てくる魚を食べたくなった、それを東京まで送ることはできないかという真面目な相談を受けました。
ブログの記事を読むだけでは満足できずに、実際に食べたいと思うような人が出てきた、これは、ブログ記事を書くことの究極の目標を達成したことに相当する、そうであれば、むしろ、その手間以上に価値ある、あるいはむしろ歓迎されるべきことではないか。
鰆
私の頭は、このように、むしろ前向きに回転し始めていました。「K1さん、それはとてもおもしろいことですね。それが成功したら、現代社会の死角を突いたことになりますね」
そして、私は、K1さんの申し出を次のように受け止めました。
①たしかに、安岐港まで出かけて競りで魚を買うことには、手間も時間もかかることなので、それだけ面倒なことにはなる。
②また、送った魚が悪くなっていたら、それは私の責任になってしまう。
③いくら競りで購入する魚が安いからといって、それを東京まで送って採算が成り立つのであろうか。
この場合、私が利益を得ることはないので、そのボランティアが、いつまで持続できるのか?
④チルド輸送では東京まで2泊3日かかるので、その運送途中で魚が傷んでしまうことはないのか?
これらに問題については、よく考えて、次のようにプラス思考を発揮させることにしました。
①について:私どもが新鮮でおいしい魚を買いに行くと思い、そのついでにK1さん用の魚を買うと思えばよい。むしろ魚を買う機会が増えて、私たちにとっても、それはよいことである。
②について:魚が悪くなるか、そうではなく新鮮なままで届けることができるのかは、実行してみないと解らないことである。私の責任問題を心配する前に、実際に試してみればよいことである。
③について:これについては、K1さんに、直接、東京での魚の購買法と値段など、その事情を聞いて、それが成り立つのかをいろいろな角度から検討する必要がある。
なにせ、「異常に魚の値段が高い東京」へ、「格安の新鮮な魚を国東から送付する」のですから、それを詳しく調べてみると、「これは意外と成り立つ話ではないか」と思うようになりました。
こうして「案ずるよりも産むがやすし」という指向に引っ張られて、そのお魚便が実験的に開始されました。
ヒラメ
そのなかで、次の新たな事実が明らかになっていきました。
①2泊3日のチルド輸送であっても、(たとえば、土曜日の午後に送付し、月曜日の朝に玄関先で受け取ることができるようにする)、魚は傷まず、かえって東京地区で買う魚よりも新鮮に感じる。
②魚の梱包材として、単にビニール袋に魚を入れて段ボール箱に詰めるだけでよい(発泡パック詰めではチルド輸送の効果が出にくい)。
③東京地区においては、容易に買えない魚が、国東では簡単に手に入る。たとえば、真蛸、大きなサイズのヒラメや鯛、石餅カレイ、城下カレイなどは買おうとしてもなかなか買えない、そして値段が相当に高い。
④新鮮で、しかも格安の魚を送り、大いに喜ばれる、これは現代社会の盲点を突いた営為であり、これを敢行することはゆかいである。
こうして、最初に若干のトラブルがあったものの、それをはるかに上回る利点が明確になり、これが5回、10回と続いて行くことになりました。
もちろんK1さんやご家族の方々、親戚、そして友人の方々が、送られてきた魚の大きさや新鮮さ、そして最後には格安さと美味しさに吃驚仰天するということが毎回起こっていました。
おそらく、K1さんも、相当に面目躍如で喜ばれたようでした。
そして、そのお魚便の魚を賞味された後には、心のこもった丁寧な、そして独特の評価を含めたメイルの返事が必ず届けられました。
これを毎回読ませていただき、そうか、このような解明と改善点があったのか、いつも参考になり、勉強になりました。
こうして10数回のお魚便を送付し、そのうち、魚だけでなく野菜も加えるようになり、さらにK1さんが目を丸くされて喜ばれることになりました。
とくに、身体が不調になり、食がなかなか進まなくなった折には、格別に、その送付を楽しまれるようになりました。
今振り返りますと、それは単なるボランティアではなく、私にとっての、そのノウハウは、十分に有益であり、参考になった試みとなりました。
K1さん、この試みで得られた成果は、必ず現実化していきますよ。
それにしても、送る、送られるの関係でしたが、それはおもしろく、とてもゆかいなことでした。
ところで、そちらの方はいかがですか?
国東のような新鮮な魚はありますか?
このお魚便、配達が可能であれば、再度実験を試みるのも痛快ではないかと思われますが、いかがですか?
ご検討をよろしくお願いいたします(つづく)。
ホゴ(刺身が最高に旨い)
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