どうやら、世間では連休が始まったようですね。
しかし、私にとっては、まったく別世界のできごとのようです。
これも長い間に身につけた習性だからでしょうか。
これまでを振り返っても「連休」中に、どこかに遊びに出かけた、旅に出た、海外旅行をした、家族で何か大きなことをしたという記憶がほとんどありません。
記憶にあるのは、手紙を一心に書いていた、研究室に行った、何か、これからのことを考えていたということの類ばかりです。
それでも家内にいわれて、子供が幼いころには、市民は無料の動物園に出かけ、ソフトクリームを食べさせたことはありあります。
そのうち子供が成長すると、アパートに近くにあった交通公園で勝手に遊ぶようになってからは、その動物園行きもなくなってしまいました。
しかし、これが、なにがしかの「勉強タイム」にはなったのでしょうか。
たしかに、連休後の展開に役立つような弾みにはなっていったことから、この習性が、いまだに続いているのだと思います。
どうやら、世間での常識が、私にとっては非常識、そして世間の非常識が、私の常識になっていたようです。
今年も、家族の全員が山梨、沖縄、東京へと出かけるようで、私のみが居残ることになりました。
おかげで、私としては、この勉強タイムを過ごすことに大満足していますので、この間に、懸案の仕事をこなすとともに、ゆっくりと思索に耽りたいと思っています。
ところで、時は晩春。
今日のように陽ざしの強い日は、初夏の訪れかと思うほどの爽やかさがあり、そこはかとなく心も浮き立ちます。
その陽気に浮かれて、午後からはハウスにある水路の掃除を行いました。
この水路には、南から、からし菜、小松菜、セロリ、クレソン、ブロッコリーなどが植わっていました。
いずれも格別の味に仕上がり、真に「次世代野菜」とも呼んでもよいようなものができあがりました。
これからは、それらが終わって夏野菜へと切り替えていく時期でもあり、それが5月の連休の重要な仕事兼趣味の取組みになりそうです。
さて、その水路は、数ある水路のなかでも2番目に優れた環境条件下にあり、かなりの収穫が期待できるところでもあります。
そのため、いつもよりも念入りに清掃と試運転の稼働を行いました。
そして今は、夕方になり、マイクロバブルの稼働音を聞きながら、涼しい風が吹いてきて、ほっと一息の気分になって、お茶をおいしくいただいています。
この連休に入り、2つ目に思うことは、その取り組み中の課題でもある、植物栽培のことです。
ここ国東に来てから、マイクロバブルによる植物栽培を始めて、もう約4年が過ぎました。
途中、いくつかの失敗や紆余曲折もありましたが、徐々に発展の道を歩み始めました。
その第一段階では、手持ちの水槽を用いて見様見真似の状態で栽培を行っていました。
少々の失敗はあっても、おおらかに、そして、そのなかにはわずかであっても、思いのほかの成功もあって、結局は、諦めることなく続けていくことができました。
転機を迎えたのは、その3年目に、かなりしっかりした設計のもとで実験用の栽培装置をきちんと製作する機会に恵まれたことでした。
これが第二段階となりました。
おかげで、かなりの研究開発補助金を活用することができ、今に生きる成果を得ることができました。
そして今は、第三段階に突入しています。
それらの栽培装置の特徴をかなり引き出せるようになり、実際の植物栽培を計画的に進めることができるようになりました。
その理由は、次の3つにありました。
①栽培する植物の性質をある程度理解するようになり、それをマイクロバブル栽培の実際に則して習得できるようになってきた。とくに、マイクロバブル栽培との相性関係が明らかになってきた。
②種からの苗づくりの方法が確立できるようになり、しかも格安で栽培ができるようになった。ここにもマイクロバブル技術を生かすことができるようになった。
③年間を通じて計画的な栽培ができるようになった。とくに、そのなかでマイクロバブル育ちの植物や野菜の特徴が明らかになり、その品質や味評価が行えるようになった。
これらは、植物栽培の専門家にとっては、いずれも当たり前のことですが、素人同然だった私にとっては、その理解を進めることは、そう簡単なことではありませんでした。
今振り返れば、何事も実践して観なければ体得したことにはならない、ささやかな私の植物栽培物語においても、その真理は当てはまったようでした。
連休の初めに、このようなことを振り返ってみました。
この物語、まだ続きがありそうです(つづく)。
お詫び
記事更新の最中に誤動作をしてしまい、先日の記事内容を一部消してしまったようです。
それゆえに、この記事は再推敲しながら書くことになってしまいました。
したがって、「教え子」さんのコメントも、「連休の思うこと(2)」の記事に添えられています。
なぜ、そうなったのか、その理由はよく解りませんが、ご容赦のほどをよろしくお願いいたします。
しかし、私にとっては、まったく別世界のできごとのようです。
これも長い間に身につけた習性だからでしょうか。
これまでを振り返っても「連休」中に、どこかに遊びに出かけた、旅に出た、海外旅行をした、家族で何か大きなことをしたという記憶がほとんどありません。
記憶にあるのは、手紙を一心に書いていた、研究室に行った、何か、これからのことを考えていたということの類ばかりです。
それでも家内にいわれて、子供が幼いころには、市民は無料の動物園に出かけ、ソフトクリームを食べさせたことはありあります。
そのうち子供が成長すると、アパートに近くにあった交通公園で勝手に遊ぶようになってからは、その動物園行きもなくなってしまいました。
しかし、これが、なにがしかの「勉強タイム」にはなったのでしょうか。
たしかに、連休後の展開に役立つような弾みにはなっていったことから、この習性が、いまだに続いているのだと思います。
どうやら、世間での常識が、私にとっては非常識、そして世間の非常識が、私の常識になっていたようです。
今年も、家族の全員が山梨、沖縄、東京へと出かけるようで、私のみが居残ることになりました。
おかげで、私としては、この勉強タイムを過ごすことに大満足していますので、この間に、懸案の仕事をこなすとともに、ゆっくりと思索に耽りたいと思っています。
ところで、時は晩春。
今日のように陽ざしの強い日は、初夏の訪れかと思うほどの爽やかさがあり、そこはかとなく心も浮き立ちます。
その陽気に浮かれて、午後からはハウスにある水路の掃除を行いました。
この水路には、南から、からし菜、小松菜、セロリ、クレソン、ブロッコリーなどが植わっていました。
いずれも格別の味に仕上がり、真に「次世代野菜」とも呼んでもよいようなものができあがりました。
これからは、それらが終わって夏野菜へと切り替えていく時期でもあり、それが5月の連休の重要な仕事兼趣味の取組みになりそうです。
さて、その水路は、数ある水路のなかでも2番目に優れた環境条件下にあり、かなりの収穫が期待できるところでもあります。
そのため、いつもよりも念入りに清掃と試運転の稼働を行いました。
そして今は、夕方になり、マイクロバブルの稼働音を聞きながら、涼しい風が吹いてきて、ほっと一息の気分になって、お茶をおいしくいただいています。
この連休に入り、2つ目に思うことは、その取り組み中の課題でもある、植物栽培のことです。
ここ国東に来てから、マイクロバブルによる植物栽培を始めて、もう約4年が過ぎました。
途中、いくつかの失敗や紆余曲折もありましたが、徐々に発展の道を歩み始めました。
その第一段階では、手持ちの水槽を用いて見様見真似の状態で栽培を行っていました。
少々の失敗はあっても、おおらかに、そして、そのなかにはわずかであっても、思いのほかの成功もあって、結局は、諦めることなく続けていくことができました。
転機を迎えたのは、その3年目に、かなりしっかりした設計のもとで実験用の栽培装置をきちんと製作する機会に恵まれたことでした。
これが第二段階となりました。
おかげで、かなりの研究開発補助金を活用することができ、今に生きる成果を得ることができました。
そして今は、第三段階に突入しています。
それらの栽培装置の特徴をかなり引き出せるようになり、実際の植物栽培を計画的に進めることができるようになりました。
その理由は、次の3つにありました。
①栽培する植物の性質をある程度理解するようになり、それをマイクロバブル栽培の実際に則して習得できるようになってきた。とくに、マイクロバブル栽培との相性関係が明らかになってきた。
②種からの苗づくりの方法が確立できるようになり、しかも格安で栽培ができるようになった。ここにもマイクロバブル技術を生かすことができるようになった。
③年間を通じて計画的な栽培ができるようになった。とくに、そのなかでマイクロバブル育ちの植物や野菜の特徴が明らかになり、その品質や味評価が行えるようになった。
これらは、植物栽培の専門家にとっては、いずれも当たり前のことですが、素人同然だった私にとっては、その理解を進めることは、そう簡単なことではありませんでした。
今振り返れば、何事も実践して観なければ体得したことにはならない、ささやかな私の植物栽培物語においても、その真理は当てはまったようでした。
連休の初めに、このようなことを振り返ってみました。
この物語、まだ続きがありそうです(つづく)。
レタス
お詫び
記事更新の最中に誤動作をしてしまい、先日の記事内容を一部消してしまったようです。
それゆえに、この記事は再推敲しながら書くことになってしまいました。
したがって、「教え子」さんのコメントも、「連休の思うこと(2)」の記事に添えられています。
なぜ、そうなったのか、その理由はよく解りませんが、ご容赦のほどをよろしくお願いいたします。
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