谷村新司作の「サクラサク」の歌の最後の一節は、次の通りです。

 「ああ いつか サクラサク 涙を超える人の胸に 

ああ いつか サクラサク 願い続ける人の胸に 」


 涙を超える苦労を乗り越えていく、その成就を願い続けて、最後にはサクラを咲かす、この思いが込められています。

 前記事においては、長い期間のブログ愛好者であるSJさんが、その「サクラサク」を予感して、その思いを、これまた長いブログ愛読者の「教え子」殿に伝えるということが起こりました。

 それを受けて、何事も慎重ですが、時に確信を抱くと脱兎のごとく走り始める「教え子」さんですから、前記事では、当然のことながら、そこまでの確信を得るには至っていませんでした。

 予感は、予感でしかなく、そこから確信は生まれない、真に、その通りです。 

 サクラサクは、その願いが確信に変わるときに起こる現象です。

 しかし、サクラサクがようやく起きたとしても、果たして、それで終わってしまうのでしょうか。

 自然のサクラサクは、毎年、寒い、そして長い冬を乗り越えて起こることです。その度に、人は涙を流すような苦労を背おうのでしょうか。

 そう考えると、「サクラサク」は単純ではなく、奥の深い意味があることになります。

 さて、前置きが長くなりました。

 昨年の11月21日に開始した後の過程を、SJさんと教え子さんのためにも、やや詳しく辿っていくことにしましょう。

 
この前日に、いつもよく行くホームセンターで桜の苗木を見つけ、自分で育ててみようと思いました。

 以来5か月間、合計で6回の水やりを行いながら、その観察を続けてきました。

 サクラの生態については、皆無に近いほどの知識しかなく、友人のKさんやインターネットの情報で勉強しながらの栽培でした。

 しかし、3月になるまでは、その苗木に何も変化がなく、これはひょっとしたら開花もしないのではないかと思うこともありました。

 それでも観測を続けていましたら、3月末になって、桜の蕾が、わずかに膨らんできました。

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桜の蕾(2017年4月2日)
 
 その時までは何も変化がないと思っていたのですが、じつは、桜の内部では、春を迎えて開花の準備がなされていたことを知りました。

最初の開花1
最初の開花(2017年4月9日)
 
 蕾が膨らみ始めてから約1週間後に、二つの開花がありました。ほのかなやさしい表情でした。夜に撮影したために光量不足となり、レトロ調の撮影となってしまいました。

 この頃には、その蕾の数が約50を超えていました。

 一斉にサクラサクが進行していました。

 最初の2つの房の開花から2日後、とうとうサクラはほぼ満開になりました。

 あれよ、あれよという間の展開でした。

 外は雨がひねもす降り続いていましたので、植木鉢ごと室内に入れてやりました。

 夜はサクラが恋しくなり、机の右端に置いて、それを愛でながら仕事をしました。

 真に豪華で、ゆかいな一時でした。

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                     ほぼ満開の一才桜(旭山)(4月11日)

 このようにして満開のサクラを満喫するのは、生まれて初めてのことでワクワクしました。

 それにしても、たくさんのサクラサクとなりました。

 かくもみごとに咲くものなのか、もしかして、このサクラの数ほど苦労があったのかと、その思いが、一瞬、頭のなかを過りました。

 しかし、それでは、「サクラに申しわけない」と思いました。

 今年のサクラサクは、いつもと異なった気分になりました(つづく)。