しばらくの中断、深くお詫びいたします。

 本ブログにおいては、どの記事が人気で、よく読まれるかの日々の結果、月々の結果などを見ることができます。

 この欄を時々開いて、状況を分析していますが、根強く、私の高専論に関する記事が読まれているようです。

 その読者のことを考え、あらためて、本記事の連載を続けることに意味があると思い、再度、この連載を継続することにしました。

 高専のことに、ご関心の方々におかれましては、どうか、これまでと同様に、よろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

 また、この連載の再開にあたり、それを既存の連載記事のなかに、どう入れるのか、または、記事数をどうしていくのか、これらが問題になります。

 これについては、それらと無関係の記事として、書ける時に書く、といいますか、既存の記事とは同時並行的に可能なかぎり認めていくというスタイルになります。

 これだと結果的に不定期になりますが、この方がより負担なく書き進めることができるのではないかと思っています。

 さて、前回までは、『第3次高専白書』の反響のところで終わっていました。

 今振り返りますと、この発行と反響には、次の重要な意味がありました。

 ①高専関係の自主的論文、調査資料などが掲載され、それらが校長を含めて現場のみなさんに役立ち、好意的に受け止められた。

 ②しかし、その巻頭の論文を受け持った私にとっては、「高専の民主的な改革問題」に関して、「その明確なビジョン」を提示するには至らず、その議論と研究の不足を痛感せざるを得なかった。

 ③同時に、高専問題を研究する研究機関の設置問題を検討することが必要であると思うに至った。

 「この反省を踏まえて、『高専の民主的改革と未来』に関する研究を開始し、発展させなければならない」

 この時、私は、その反省を踏まえて、自分自身に、こういい聞かせたのでした。

 この反省は、専科大学構想の挫折の後に、すぐに始まった「高専の専攻科設置問題」の論議において大いに生かすことができました。
 
 その議論を、前記事に続いて以下に再録します。

 1.専攻科「不要論」


 ①専攻科が加わると、高専が高専でなくなる。高専は完成教育を行うところだったはずである。

 ②今回も、上からの独断で、その設置が決められたので、信用できない。

 ③校長の独断で、人事権をより一層振り回す可能性がある。

 ④高専は教育機関であり、その役割が薄められるのではないか。

 
2.専攻科「必要論」

 ①専攻科が加わることで教育研究機能がより充実発展する。

 ②本科生と専攻科性が相互に学び合い、これに教員が加わって、刺激し合い共に成長し合うことが可能になる。

 ③大学へ編入学するよりも、地元の高専に通うことができるというメリットがある。

 この議論の特徴は、 第1に、当時の文部大臣が2度にわたって記者会見し(海部、藤尾大臣)、「専科大学」設置問題が、あえなく挫折し、高専の設置基準に関わる改革は無理と判断し、それにかかわらずに設置が可能な「専攻科」を、やむなく選択しようとしたことにありました。

 また、第2に、その専科大学の論議が校長を中心にした「雲上の議論」であったことから、高専の現場においては、高専の将来問題を自主的に検討しようという機運が生まれ、その流れが、専科大学問題へと合流していったことにありました。

 この後者における流れの形成は、後になって考えてみると、小さくない意味があったといえ、その意識の芽生えと成長が、その後の発展に重要な影響を与えていったといってもよいでしょう。

 その意味で、専攻科に関する不要論と必要論の議論の沸騰は、「高専の民主的改革」問題に重要な一石を投じることになりました。

 さて、その議論の中身に分け入っていきますが、最初は、その「不要論」が多数(何となく不要も含めて)であり、「必要論」は少数という構図の中での展開となりました
(つづく)。

siruetto
                          屋根の上の三職人