いよいよ、この映画の本題に分け入ることにしましょう。

 その問題を考察する際に、この映画のきっかけとなった井上ひさし原作の劇と映画となった「父と暮らせば」に触れておきましょう。

 この映画の主役は、原爆で生き残った娘福吉美津江と、逆にそれで亡くなった父親福吉竹造でした。

 8月6日の朝、二人は庭に出て会話をしていました。美津江は持っていた友達の手紙を何げなく落とし、それを取ろうとしゃがんだ瞬間に原爆がさく裂します。

 美津江の目の前には石灯籠があり、それによって放射線が遮られることで被害が軽減されます。

 ところが竹造の前には何もなく、もろに放射能を浴びてしまいます。そして竹造の身体には崩れた家屋が圧し掛かり、身動きが取れなくなります。

 おまけに、その瓦礫が燃え始めたので、竹造は死を覚悟し、美津江に早く逃げることを促します。

 美津江は、瀕死の父を残して逃げることはできないといいます。これは、肉親として当然の感情でした。

 そこで亡き父は、じゃんけんの話を持ち出します。

 この親子は、娘が小さいときから、よくじゃんけんをしてきて、その際に竹造は、いつも「ぐう」を出して負けていました。

 二人は、そのじゃんけんを始めましたが、美津江は、いつまでたっても「ぐう」を出し続けました。竹造は、早く「ぱあ」を出せというのですが、美津江は、それができませんでした。

 ここが、この映画において最も涙を誘い、一番盛り上がるシーンでした。

 そし、竹造は、美津江に、最後の願いを託します。

 「生きるということは、自分だけのことではなく、死んだ人々も含めてみんなの願いなのだ。みんなのために生きてください」
 
 このシーンが映画の最後において思い出され、美津江は、父や亡くなった人々の願いが、自分の人生に結びついていることを悟ります。

 じつは、美津江が拘っていたのは、生きていることに対する「負い目」でした。

 それは、原爆で亡くなった父と友人の両方に対するものでした。

  みすみす、自分の前で瓦礫に埋もれた父を助け出すことができなかったこと、そして親しかった友人が原爆で死んだのに対し、自分が石灯籠の陰に隠れたことで助かったこと、これらが、心の奥底に負い目として残って「いたのでした。

 やや説明が長くなってしまいましたが、映画「母と暮らせば」においても、この「生きていることの負い目」が主題となっていました。

 「母と暮らせば」において「生きていることに負い目」を抱いていたのはだれか?

 主人公の一人である浩二は、すでに亡くなっていますので、このこだわりは持っていません。

 もう一人の伸子にも、この負い目はありませんでした。

 となると、これを一手に背負っていたのは、浩二の婚約者であった佐田町子でした。

 彼女の負い目には、浩二に対するものと親しい友人に対するものの2つがありました。

 前者は、愛する浩二が原爆で一瞬に命をなくしたことで、その浩二のことが忘れることができなかったことにありました。

 後者については、原爆が投下された日は、町子が体調を崩していたので工場で働きに出ることを休んでいました。

 そのために原爆から逃れることができたのですが、親しかった町子のすべての友人たちはみな命をなくしてしまいました。

 その欠勤のことを、友人の母親に告げると、その母親は立腹し、自分の娘も休めばよかったといいながら、親しく抱いた町子を突き放し、豹変してしまったのでした。

 この行為が、町子の心奥底を深く傷つけていました。

 伸子は、まず、浩二を説得し、町子が浩二のためではなく、自分の幸福のために生きていくことを粘り強く勧めます。

 その結果、町子の心の中で凍っていた負い目が、徐々に溶けていきます。

 この氷解の過程で、町子は、友人たちに対するもうひとつの負い目を伸子に打ち明けるようになります。

 こうして、町子が新たな幸福の人生に向かって歩き始めることが、すなわち、町子が亡くなったみんなのために生きることの大切さを悟っていくことに、この映画の核心的部分がありました。

 生きていることの負い目を取り除き、新たな人生の幸福を求めて歩き出すこと、ここに「父と暮らせば」と「母と暮らせば」の両方における共通の主題があったのではないかと思います。

 原爆という、おぞましい兵器によって、一瞬のうちに命をなくした竹造と浩二、そして運よく助かった美津江と町子。

 亡くなった側には幽霊になってでも思いを伝えようとするやさしさ、そして生き残った側には負い目をなくしていくことで新たな人生を見出そうとする努力、これらが、みごとに演出されていたのではないでしょうか。

 ここには、芸術の葛藤と共にすばらしい、そして激しいぶっつかり合いがあるように思われます(つづく)。

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                            水仙