主人公の福原浩二は、音楽が好きで、とくにメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調、作品64をこよなく愛していました。

 この鮮やかな冒頭の一説が何度も出てきて、映画は徐々に盛り上がっていきます。

 また、この曲を浩二が指揮している場面も流れてきます。

 そのバイオリンの演奏者はメニューインであり、映画の中で、浩二は「メニューインが一番だよね」と、母の伸子と意気投合していました。

 浩二の部屋は二階にあり、小さいけど、洒落た洋風づくりになっていました。

 そこには、ソファーがあり、その傍に蓄音機とレコード入れの棚もありました。

 おそらく、結核で亡くなった医者のお父さんが、この洋風の部屋を作り、そこに好きだった蓄音機とレコードを置いていたのだと思います。

 浩二は、それを幼いころから聞いて育ち、好きになっていったのだと思います。

 当時、手回しの蓄音機やクラシックのレコードを持っていたということは、それらを買うことができる裕福さと、それを鑑賞したいという気持ちがあったからで、それらは普通の人では、とても手に入れることができなかったのではないでしょうか。

 そこで、「メニューイン」をネット検索してみると、戦後における演奏会の録音がありました。

 その楽団は、ベルリンフィル、指揮者は、なんとフルトヴェングラーでした。

 当時としては、最高の組み合わせでしょう。

 じつにすばらしい演奏であり、とても感激しました。

 これなら、浩二が夢中になったのも頷けることだと思いました。

 フルトヴェングラーの指揮といえば、すぐにベートーベンを思い浮かべますが、この曲を聞いて、「これはかれの音楽センスにマッチした曲だ」と思いました。

 こうして、何度も、この演奏を拝聴し、浩二と同じ気分を味わうことができました。

 そして、今度は、このメニューインを堪能した後には、他の演奏者を聴いてみようと思い、それらを手当たりしだいに鑑賞してみました。

 そのなかで、「これはすばらしい」と感激したのが、演奏者では諏訪内晶子、指揮者では、カラヤンでした。

 諏訪内は、堂々と演奏していたこと、そしてカラヤンは、実に美しい音が奏でられていました。

 これからも、お二人の演奏もじっくり鑑賞したいと思います。

 ところで、浩二は、被爆から3年経って、母親の伸子が、息子の浩二がもう生きていないと、諦めた日から、いわゆる幽霊として出てくるようになりました。

 その浩二が、母親との懐かしい会話を終えて、二階の自分の部屋に行き、好きだったメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のレコードをかけて聴き始めます。

 ここで、その二階に上がっていくところから、坂本龍一作曲の音楽が流れます。

 坂本は、この映画の作曲を行うにあたり、「死と生のこと」を深く考えながら取り組んだという談話を寄せていました。

 まさに、その意識が込められたきれいな調べであり、澄み切ったバックグラウンドミュージックが流れていました。

 この後に、メンデルスゾーンの曲が流れ、そして浩二が、この部屋を去るときにも坂本の曲が奏でられ、その幽霊の姿が消えていきます。

 浩二は悲しくなって涙を流すと、自分の姿が消えて無くなってしまうのです。

 ですから、伸子も、浩二に泣くなといって懇願するようになります。

 そのこともあって、浩二は、可能なかぎり、明るく振舞うことに努めます。

 その象徴的調べが、メンデルスゾーンであり、これと対照的な音楽が、坂本の調べであり、映画では、この対比がみごとな「掛け合い」になっていました。

 じつに、聴きがいのあるシーンでした。

 このように音楽的にも、すばらしい、そして深みのある情景と調べでした(つづく)。 
hototogisu
ホトトギスの花2輪