ーーー そうだね、「生活ライブ浴」、この概念が明確になるきっかけが、あの沖縄での経験だったね。

 「その後、その当事者がすっかり気に入り、それをお母さんにも使ってもらうという、素敵な心温まるプレゼントなったようで、これもすばらしいことだった。

 この波紋は、その兄弟や親戚、子供達にまで広がり、みんな喜んで、その生活ライブ浴を楽しむようになったことことから、『これはいける』と思うようになりました。

 ここには、注目すべき先進性と新規性がありましたね!」

 「あなたの予測は、ズバリ当たりましたね」

 「そうだよ、あの後、その確実性を確かめたくて、我が家でも、その『生活ライブ浴』を開始しました。そして、『これは間違いない』という認識を深めることができました」

 その頃は、日本の電機産業が不振に喘いでいました。

 高性能機能に拘って売れない電化製品を大量に生産し、みごとなまでに失敗を繰り返していました。

 その挙句、原発事業に手を出し、巨額の損失を生み出し、それを覆うために不正会計を行う、さらにはデータの偽造を繰り返す、そして、それらの過誤の責任をだれ一人として取らないという末期症状が、日本のあちこちに発生していました。

 周知のように、多くの電化商品は、かつての低開発国においても生産・販売が可能になり、その激烈な価格競争に、ことごとく負けてしまうようになりました。

 これは、「黄金の80年代」という栄光を経験した方々には、とても考えられない、信じられない出来事でした。

 たとえば、テレビにおいては、大型画面の細密化を軸とした開発が指向されていましたが、これが見事に失敗し、それを担っていたリーディング企業は、外国資本に買収されるまでに落ち込みました。

 かつては、私のあこがれであった有名女優がテレビのコマーシャルに出ていて、それを見るのが楽しみでしたが、それもなくなってしまいました。


 「やはり、単なる高性能化では、もはや通用しなくなっていたのに、それを見抜くことができなかったのだと思います。

 もっと、本質的に生活や産業を根本的に変えることを可能にする新技術についての探究が不足していたのではないでしょうか?」


 「どうして、そうなってしまったのでしょうか?もっと頑張ればよかったのに!」

 「あれほど、『製造業は永遠なり』といっていたのが、まるで嘘のように消えてなくなり、その挙句は、大量のリストラ、工場閉鎖、海外進出、内部留保、これに円安、株高という流れが強まり、真摯に『科学技術立国』を下支えする製造業の革新という指向が、どんどん萎えていきました。

 これでは、優れた人材も集まらなくなると思っていたら、その通りになりました。

 これには、福島原発の事故も大きく影響しています。

 だいぶ昔のことになりましたが、オリンピックの誘致のための演説で、時の首相が、『完全にコントロールされている』と胸を張りましたが、それから30年を経過した今でも、その泥沼状態が続いています。

 ある建設会社が提案した『凍土壁』は、一度も有効に作用せず、それを二重、三重、そして今では、四重にまで張り巡らされていますが、その汚染水流出問題の解決には至っていません。

 その汚染水を溜めたタンク群は、あたかも万里の長城のように敷き詰められ、結果的に、避難困難地域に延々と敷き詰められていくことになりました。

 あのきれいな緑と土の大地には、汚染水のタンクが敷き詰められ、だれも寄り付かない『死の街』が広がっていきました。

 ふしぎなことは、ここまできても、だれもその責任を取ろうとはしなかったことです。

 これでは、先代の陛下が怒ったのも無理はありません。

 緑の大地に暮らしていた平和を返せ、これは心の底からの叫びだったのだと思います」

  「あれから、日本は大きく変わっていきましたね」

 「そうだったね。いうこととやることがまるで違っていた政治や経済において、それらの問題が誰の目にも明らかになったのは、皮肉にも、遠い海の向こうの強い個性を持った大統領の相次ぐ要求でした。

 最初の頃は、それらを鵜呑みにしていましたが、それでは、胃袋がすぐに満杯になり、そのうち、消化できずに痛みを感じるようになりました。

 鵜の場合は、その魚を吐き出せばよいのですが、鵜と違って、魚を吐き出すなといわれていましたので、そうすると、これはじっと我慢するしかありませんでした。

 しかし、それにも限度がありましたね。

 『それくらいの我慢ができないで、どうしますか、しっかりしなさい』といってやりたかったのですが、どうも、それは実現しませんでした」

 「そうでしたね。福島では、いまだに何万人という方々が仮設住宅に住まれたままであり、これらの方々の我慢とは比較にならないほどのものでしたね。それにしても、海の向こうの大統領さんは、世界中に我慢を押し付けましたが、結局のところ、だれも、その我慢に耐え抜いた方は一人もいませんでした」

 「そうだよ、皮肉といえば、これ以上の皮肉なことはないよ。何しろ、かれは、世界を変えた『大変革者』となったのだから、あれは、まさに『波乱万丈の10年』だったね。

 同時に、不振だった電化製品については、生活に深く根差す、そして命に係わる新商品の開発への指向がいよいよ強まっていきました。

 沖縄でのささやかな経験が、その後に小さくない影響を与えることになりました」

 (つづく)。
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                            セロリの葉