甲府入りしてから、今日で2日目の朝を迎えました。

 天候は晴れ、朝の空気は澄み切っていましたが、昨日よりはやや暖かさを感じました。

 そして本日も、7時56分発の「かいじ」に乗車し、新宿をめざしました。

 まずは、そのまま上野に直行して、ある企業の方と面談し、その後、2つ目の企業の方とも協議を行いました。

 また、その後、病院関係の方への挨拶と視察を行うということで、ややハードなスケジュールが組み込まれていました。

 最初の会場は、JRの上野駅からすぐのところにあった喫茶「ルノアール」でした。

 若いころに上京した折には、よく「ルノアール」を利用していました。

 たいがいが地下に設けられ、ゆったりとした喫茶空間があり、ときにはソファーもあって、狭い東京のなかで、それこそ「1杯のコーヒー」を飲みながら、ゆっくり寛ぐことができる空間として、オアシスのように感じていました。

 すでに、その面談相手は先に来られていました。

 挨拶を簡単に済ませてから、まずは、ご提供いただいていたサンプルを用いての簡単な実験結果の報告を私の相棒が行いました。

 これを、私どもは、マイクロバブルとの相性実験とよくいっていますが、今回は、その試験の入り口の入り口に相当するもので、そのサンプルを含む液体中においてマイクロバブルの発生状況を簡単に発生させたものでした。

 「泡は、よく発生します。しかし、通常のシャンプー泡よりは、なんとなくさらっとしていて軽い手触りを感じることができました。

 サンプル液の濃度を徐々に濃くしていくと、当然のことながら、泡の量は増えてきました。

 水表面に蓄積された泡の厚さも大きくなりました」


 「発生した泡の大きさは、どうだったでしょうか?」

 「見た目は、通常のシャンプー泡のサイズとあまり変わっていないようでしたが、正確には計っていません。

 マイクロスコープを用いての泡のサイズの計測は、次の段階における実験になりますね」

 「そうですか、・・・」

 その画像を見ながら、泡のサイズや寿命に関する論議が繰り広げられていました。

 その頃合いを見計らって、今度は、私が二人の間に分け入ることになりました。

 「私も、この泡を直に手で触ってみました。たしかに、さらっとした手触りであり、通常のシャンプー泡とは違うということは、ある程度解りました。

 たしかに、もしかしたら何か違うのかもしれないという可能性を、わずかに感じることはできたのですが、それがあまりにも微妙でしたので、正確には、何ともいえない、これが正直なところでした。

 今後、いくつかの相性実験を行う必要がありますね」 

 
「その相性実験というものは、どういうものですか、・・・」

 「私どもが、そのマイクロバブルの相性実験を行う場合に、まず、その課題設定を行います。

 この場合、それは、洗浄と生物活性の2つになります。

 これらを個別に分けて、それぞれ検証することが重要です。ここを間違えて、あいまいなままで取り組むと、何が何だか解らなくなってしまいます。

 また、この場合の検証とは、そこに機能性を見出すことでもあります。

 ですから、当然のことながら、その相性実験の方法も異なり、何を明らかにするかの目標もちがってきます。

 さらに、この実験は1回で済まない場合もあり、何度か積み重ねながら、その検証過程を探ることもあります。

 もしよければ、幸いなことに、このたび関連の研究開発の申請を行うことになりますので、そのなかに、この検証課題を加えることも可能ですよ。

 いかがですか?」

 返事は、もちろん、「OK」でした。

 こうして、約2時間の濃密な話し合いがなされ、その会場を出たときには13時をとっくに過ぎていました。

 昼食は、お茶の水駅の前の高いビルの中華料理店に案内されました。

 メニューを見せられて、じつは昨日の和食が腹の中に残っているような感じでしたので、軽いものを注文することにしました。

 「それでは、この餃子をお願いします」

 よくみると、餃子1個が300円もして、これを2ついただくことにしました。

ーーー 1個300円もする餃子、どんなものが出てくるのだろうか?

 案の定、大きなジャンボ餃子が出てきて吃驚、その味も抜群によく、餃子で有名な宇都宮のものよりも優れていました。

 その後、ここでしばらく歓談し、夕方には関連の病院を視察しました。

 帰りは、新宿発20時の特急あずさに乗ることができ、孫たちには、銀座コージーのケーキを2つ買いました。

 孫たちは、帰宅の22時でも起きていて、そのケーキに蝋燭を載せて、それぞれの「ハッピーバースデイ」の歌を唄ってから、みんなでそのケーキをいただきました。
 
 明日は、学会があり、それから、その発表の準備を行いましたが、例によって、その夜はほんのわずかの仮眠をとりながらのスライドづくりでした(つづく)。