どうやら、強力な睡魔の襲来で、しばらくの間、安眠をむさぶっていたようでした。
ここ国東の地は晩秋を迎えても暖かく太陽が降り注ぐ日があり、その室内温は20℃を超えるときもありました。
ーーー ここちよい眠りであった。最近は、この椅子に座って、しばしの眠りを楽しむことが増えてきたようだ。
国東に来てすぐに買ったロッキングチェアですから、それ以来30年以上も座り続けてきましたが、その皮がやや色あせてきた程度で、少しも傷んでいないのは、一流商品の証拠でした。
ーーー さすが、天童木工、職人の技の極みが反映されているようだ。長持ちの秘訣は、よいものを選ぶことだ!
「よく眠っておられましたね」
「そうか、ところで、眠る前は何を話していたのだろうか?あまりにも気持ちがよかったので、それをすっかり忘れてしまったようだ」
「たしか、今から30年前のことを仰っていましたよ」
「そうだったね。30年前といえば、マイクロバブル研究会を始めたころだったような気がする。
初めは、地域の熱心な方々が数名集まって勉強会を開いたのがきっかけとなり、それが終わって、さてどうするかという話し合いになり、この研究会が発足したことはよく覚えているよ」
「みなさん、とても熱心で、夕方6時に始まって、いつも9時前後まで話が続いていましたね」
「夜遅くまで話が弾んだので、何か軽くつまむものを出そうかということで始まり、そのうち、試食会や夕食会が定着してしまって、その節は大変お世話になりました。
しかし、途中から会員が増えてしまい、アットホームな食事会はできなくなってしまいました」
「そうですね。いまだに、その研究会が続いていることは驚きですね。勉強し合うことが、いかに大切かを教えていますね」
「私も、月1回の研究会に出席することを楽しみにしています。30年前とは、メンバーがずいぶん入れ替わって、新たに若い会員が増えてきました」
「たしか、山口の吉田松陰先生の教えを学んで創られたと聞いていましたが・・・」
「そうだったね、それぞれの塾生の問題をみんなで考え、解決していくということを貫いたことで、塾生たちが育っていったことを肝に銘じて、この研究会を設立し、運営することが非常に重要でした。時代は変わっても、その教えは、現実の中で確かに生き続けているのだと思います」
「そうですね。みなさんが生き生きと対話され、とても良い雰囲気ができていましたね」
「思い返せば、あのころの地域は、深刻な問題を抱えて、大きな衰退に向かっていました。
すさまじい高齢化、人口減、中小零細企業の低迷、農林水産業の衰退など、いずれも大変な状況に陥り、自治体や地元の研究者も、どうしてよいかわからない、このような事態に直面していました」
「そんななかで、国東に移住し、それからあなたの大病もあり、苦労の連続でした」
「しかし、そこから新たに生まれ変わったのですから、人生とはふしぎなものですね。そこから這い上がり、最初の成果が、研究会のS会員の課題であった植物工場の改善問題でした。
ここは8000㎡という巨大な植物工場であり、3億円という補助金を得て、しかも単一の野菜のみを栽培していました。
しかし、この工場の設立当初から、その生産と採算性において十分な域までに達せず、いくつかの重大な問題を抱えていました。
それは、4系統のタンクと栽培システムにおいて極端なムラが生じていたこと、そして、冬場において極端に生産性が低下すること、さらに、病気にかかりやすく、先枯れが起こることでした。
これらを、どのように改善していくかを検討し、3か月間の導入試験を開始することにしました。
これに失敗すれば、その時点で、この改善の試みは終わってしまいますので、後がない試験となりました。
この試験においては、当面、先枯れをなくすこと、根の本数を増やすことの2つを目指すことにしました。
根が弱いことで、成長が停滞すると先枯れが起こると判断し、逆に根を育てることで、その先枯れを改善できると推察してのことでした。
この目標を達成するために、かなりの能力を発揮できるマイクロバブル装置システムの導入を検討しました。
おかげで、二か月目に、驚くような成果が出始めました」
「さすがのマイクロバブルでしたね」
「いつも、マイクロバブルに驚かされるということが起こってきましたが、この時もそうで、その様はドラマチックでしたね。
なにせ、一番成績の悪いベッドでの栽培生産量が3割もアップして、一番良いベッドに追いつ、追い越したのだから、これは驚きでした。
私が注目していた、その野菜の根の数は約10倍も増えて、その結果、それまで実現できなかった先枯れがまったくなくなりました。
このように目に見える成果が出始めてから、現場のみなさんの評価が高まり、マイクロバブル装置の追加導入がなされるようになりました。
また、この結果は、その植物工場に重大な影響を与えたことにとどまらず、それまで不振が続いていた植物工場に対しても徐々によい影響を与えていくことになりました。
その頃は、アメリカのNASAによって宇宙でレタスを育てた事例が生まれていました。これはまさに宇宙で野菜工場を作るというきっかけになった事例でしたが、いまでは、その栽培が大きく花開いていますね。
私も、ささやかですが、その後に、それと類似する事業に貢献できたことをうれしく思っています」
「ご苦労様です。とにかく、マイクロバブルについては、いろいろなことがありましたね。おかげで、私もすっかり『マイクロバブルファン』になることができました。
あの頃といえば、沖縄の兄弟のために、株式会社ナノプラネット研究所で開発した装置を持ち込んだことも思いで深い、意義ある仕事になりました」
「そうですね、これは、あなたにとっても重要な転機を迎えた出来事でしたね」
(つづく)。
ペアのチェリーセージ
ここ国東の地は晩秋を迎えても暖かく太陽が降り注ぐ日があり、その室内温は20℃を超えるときもありました。
ーーー ここちよい眠りであった。最近は、この椅子に座って、しばしの眠りを楽しむことが増えてきたようだ。
国東に来てすぐに買ったロッキングチェアですから、それ以来30年以上も座り続けてきましたが、その皮がやや色あせてきた程度で、少しも傷んでいないのは、一流商品の証拠でした。
ーーー さすが、天童木工、職人の技の極みが反映されているようだ。長持ちの秘訣は、よいものを選ぶことだ!
「よく眠っておられましたね」
「そうか、ところで、眠る前は何を話していたのだろうか?あまりにも気持ちがよかったので、それをすっかり忘れてしまったようだ」
「たしか、今から30年前のことを仰っていましたよ」
「そうだったね。30年前といえば、マイクロバブル研究会を始めたころだったような気がする。
初めは、地域の熱心な方々が数名集まって勉強会を開いたのがきっかけとなり、それが終わって、さてどうするかという話し合いになり、この研究会が発足したことはよく覚えているよ」
「みなさん、とても熱心で、夕方6時に始まって、いつも9時前後まで話が続いていましたね」
「夜遅くまで話が弾んだので、何か軽くつまむものを出そうかということで始まり、そのうち、試食会や夕食会が定着してしまって、その節は大変お世話になりました。
しかし、途中から会員が増えてしまい、アットホームな食事会はできなくなってしまいました」
「そうですね。いまだに、その研究会が続いていることは驚きですね。勉強し合うことが、いかに大切かを教えていますね」
「私も、月1回の研究会に出席することを楽しみにしています。30年前とは、メンバーがずいぶん入れ替わって、新たに若い会員が増えてきました」
「たしか、山口の吉田松陰先生の教えを学んで創られたと聞いていましたが・・・」
「そうだったね、それぞれの塾生の問題をみんなで考え、解決していくということを貫いたことで、塾生たちが育っていったことを肝に銘じて、この研究会を設立し、運営することが非常に重要でした。時代は変わっても、その教えは、現実の中で確かに生き続けているのだと思います」
「そうですね。みなさんが生き生きと対話され、とても良い雰囲気ができていましたね」
「思い返せば、あのころの地域は、深刻な問題を抱えて、大きな衰退に向かっていました。
すさまじい高齢化、人口減、中小零細企業の低迷、農林水産業の衰退など、いずれも大変な状況に陥り、自治体や地元の研究者も、どうしてよいかわからない、このような事態に直面していました」
「そんななかで、国東に移住し、それからあなたの大病もあり、苦労の連続でした」
「しかし、そこから新たに生まれ変わったのですから、人生とはふしぎなものですね。そこから這い上がり、最初の成果が、研究会のS会員の課題であった植物工場の改善問題でした。
ここは8000㎡という巨大な植物工場であり、3億円という補助金を得て、しかも単一の野菜のみを栽培していました。
しかし、この工場の設立当初から、その生産と採算性において十分な域までに達せず、いくつかの重大な問題を抱えていました。
それは、4系統のタンクと栽培システムにおいて極端なムラが生じていたこと、そして、冬場において極端に生産性が低下すること、さらに、病気にかかりやすく、先枯れが起こることでした。
これらを、どのように改善していくかを検討し、3か月間の導入試験を開始することにしました。
これに失敗すれば、その時点で、この改善の試みは終わってしまいますので、後がない試験となりました。
この試験においては、当面、先枯れをなくすこと、根の本数を増やすことの2つを目指すことにしました。
根が弱いことで、成長が停滞すると先枯れが起こると判断し、逆に根を育てることで、その先枯れを改善できると推察してのことでした。
この目標を達成するために、かなりの能力を発揮できるマイクロバブル装置システムの導入を検討しました。
おかげで、二か月目に、驚くような成果が出始めました」
「さすがのマイクロバブルでしたね」
「いつも、マイクロバブルに驚かされるということが起こってきましたが、この時もそうで、その様はドラマチックでしたね。
なにせ、一番成績の悪いベッドでの栽培生産量が3割もアップして、一番良いベッドに追いつ、追い越したのだから、これは驚きでした。
私が注目していた、その野菜の根の数は約10倍も増えて、その結果、それまで実現できなかった先枯れがまったくなくなりました。
このように目に見える成果が出始めてから、現場のみなさんの評価が高まり、マイクロバブル装置の追加導入がなされるようになりました。
また、この結果は、その植物工場に重大な影響を与えたことにとどまらず、それまで不振が続いていた植物工場に対しても徐々によい影響を与えていくことになりました。
その頃は、アメリカのNASAによって宇宙でレタスを育てた事例が生まれていました。これはまさに宇宙で野菜工場を作るというきっかけになった事例でしたが、いまでは、その栽培が大きく花開いていますね。
私も、ささやかですが、その後に、それと類似する事業に貢献できたことをうれしく思っています」
「ご苦労様です。とにかく、マイクロバブルについては、いろいろなことがありましたね。おかげで、私もすっかり『マイクロバブルファン』になることができました。
あの頃といえば、沖縄の兄弟のために、株式会社ナノプラネット研究所で開発した装置を持ち込んだことも思いで深い、意義ある仕事になりました」
「そうですね、これは、あなたにとっても重要な転機を迎えた出来事でしたね」
(つづく)。
ペアのチェリーセージ
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