「私は、2012年3月に、山口県にあった高専を定年退職しました。

 丁度、定年が2年延びて65歳になりかけたころで、『再雇用』という形態の定年延長が始まったころですが、そのことについて、『あなたは、どうなさるのですか』と尋ねられた際に、きっぱりと『再雇用の希望はありません』と返事しました。

 あの選択は、今でも、正しかったと思います。

 しかし、その前年の5月から「東日本大震災の緊急支援プログラム」に採用されたこともあり、それが翌年3月まで継続し、定年前の始末ができないまま、家の新築、2つの会社と共に国東に移住するという事態を迎えてしまいました。

 それに、長年の疲れが蓄積していたのでしょう。

  2012年の12月に発病し、1月から、それが悪化し、結局68日間の入院生活をすることになりました。

 今思えば、その生活が、どん底状態であり、気持ちは、『大病のおかげで生まれ変わった』と思っていても、現実は、その『どん底』のままでした。

 さて、どうするか。どう回復に向かうか。

 退院はしたもののリハビリに通うなかで、そのことを一心に考え続けました。

 そこで、この状態を脱するには、とにかく、研究開発資金を確保することが先だと思って、それこそ手当たりしだいに、その申請を行うことにしました。

 そしたらどうでしょう。その真剣さが審査側に伝わったのでしょうか。

 次々に、『採択』の方が届くことになり、自前で4件、協力を依頼された企業のテーマで1件という結果になりました。

 こうして採択の報のたびに喜んだものの、じつは、それらをこなしていくのに、相当な苦労と手間で、それこそ自転車操業のような慌ただしさの3年間を過ごすことになりました」

 「その大変さを傍で見ていましたから、あれは苦しくもあり、楽しくもありでしたね」

 「そうだね、私が入院していたQ整形病院の理事長のQ先生の好きな言葉に『苦楽吉祥』というのがあって、その当時、Q先生が、この言葉をよく仰られていました」

 「それは、どういう意味なのですか?」

 「それは、苦しいことがあるから、それを乗り越えたときに楽しいことがあり、幸福が訪れるということだそうです」

 「なるほど、良い言葉ですね。その意味がよく解ります。あの時の苦労が、今の楽しさに生きているのですね・・・」

 「そうだよ。あの時の苦労は、その補助金だけで終わらず、どんどん苦労が増えるとともに楽の方も広がっていったのだから、人生というものはふしぎだよね」

 「その通りですよ。私は、今でも、あの病気はよかったと思っていますよ。なぜなら、あれをきっかけとして、何事もどんどん変わっていくことができたのでうから・・・」

 「そうともいえるね。あの病気が、その後の変化に重要な影響を与えたことは間違いないね。

 あれから30年余、じつに楽しかった。その前の30年よりは、はるかにやりがいがあったよ。

 それもマイクロバブルの支援があったからで、これも間違いのないことだったね」

 こんな会話を繰り返しながら、私は、愛用のロッキングチェアを揺らしながら、再び夢の中に吸い込まれていきそうになっていました。

 「あれから、いろいろなことがありましたね。2013~2016年、あのころが一番の苦楽吉祥ではなかったでしょうか?」

 「そうかもしれないね・・・・」

 すでに、私は、一段と深い睡魔に襲われていました(つづく)。

sititoiu
七島イの花が咲きました