高専教育について、やや歴史的に振り返ることになりましたが、これは重要な問題ですので、その系統的な考察を、さらに前に進めることにしましょう。
 1980年代中ごろになって、高専を「専科大学」に名称変更しようとする動きが「国立高等専門学校協会」の指導層から突如として出てきました。
 折しも、日本経済はバブルを謳歌し、時代は、「黄金の80年代」と呼ばれていました。
 当時、高専を「大学」にしようとした理由として、1)急激な大学進学率の向上、2)産業構造の変化、3)少子化という3つが指摘され、「このままでは高専は持たない」という危機認識が示されたことに大きな特徴がありました。

 まずは「高専(高等専門学校)」という名称を改め、「専科大学」と呼ぶという「名称変更」論が優先されて展開されました。そのため、その「大学にふさわしい教育研究をどう充実させるのか」が、後回しにされていました。

この「高専が専科大学になる」というアナウンスは、丁寧なことに、2代にわたる文部大臣二人による記者会見によってなされましたので、少なくない高専関係者が、それを信用することになりました。

結果的に国会上程を前にして、「大学ではない高専を大学と呼ぶことはできない」という内閣法制局の見解が示され、この名称変更論は一歩も前に進むことができず、とん挫してしまうことになりました。

 そして、この「とん挫」がゆえに、それは「騒動」に終わってしまうことになりました。

 高専を「専科大学」へと名称変更するのであれば、高専を教育機関として位置付けている設置基準を変更し、代わりに「教育研究機関」として位置付けることが同時に行われなければならないのに、それができなかったことに小さくない問題が存在していました。

 この問題は、今回の「専門職業大学」の設置に伴う議論においても、その大きな焦点のひとつになっていました。

 「大学」としての設置を考えるのであれば、教育と研究の両方を行う機関であると位置付けることが必須であり、前者のみでは、高専になることはできても、大学になることはできない、これが設置基準に関わる大原則ということができるでしょう。

 これは、高専が、いかなる形態であろうとも、大学へと発展する場合には、避けて通ることができない、いわば桎梏的問題といえます。

 この専科大学への道がとん挫したことは、社会的に大きな問題となりましたので、「それに替わる何か」を打ち出す必要がありました。

 それが、現在の「専攻科」設置の「密かな提案」でした。

 例によって、その設置に関する審議や検討は、ごく一部でしかなされず、その議論が広く行われることはありませんでした。

 次回は、そのことについて、やや詳しく分け入ることにしましょう(つづく)。

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通行人ゼロですから、はみ出しても問題になりません。