先週末から連休のほとんどを費やして、あるプレゼンの資料作りに専念していました。
いつものことですが、このような作業は、最後に時間が無くなり、その分だけ睡眠時間を減らして対応せざるを得なくなります。
当然のことながら、マイクロバブルがあっても、この体調の変化に対応できないところも出てきます。
そして、なんとかそれを乗り切っても、しばらくは、その疲労が残ってしまい、ここでもマイクロバブルのお世話になります。
その疲労は徐々に蓄積されたものでしょうから、おそらく、それが抜けていくのにも同じだけの時間がかかるのでしょう。
さて、一昨日、珍しいことに、「よい夢」を見ました。
そこには、私自身が、何かで、うれしそうに喜んでいる姿がありました(私の夢は、常にきれいなフルカラーの映像が出てきます)。
私の場合、この種の夢を見ることはなく、たいがい、何か失敗した事例が多く、夢から覚めて、夢でよかったと思うのが常ですが、その夢はまるで違っていました。
「なぜ、このような夢を見たのであろうか?」
そう思いながら、その訳を考えてみることにしました。
ーーー そういえば、いくつかの分野で明るい話題が増えているようだ!
ここ最近の状況、とくに国東に来てからは、なかなか、このような兆しは見えてくることはありませんでした。
2012年に、ここ大分県国東市に移住、それに伴う会社の移転、住処の新築、これらの新しいことが重なったからでしょうか、その年の年末から体調を崩し、年明けから入院、最初の頃は生死淵を彷徨い、結局68日間という長きにわたる入院生活を送ることになりました。
退院の2013年春から、徐々に職場に復帰し、どう再生を目指すかが重要な課題となりました。
移転と入院で、いわば「どん底」状態からの再スタートとなり、最初に考えたことは、その資金を得るために、研究開発補助金を申請することでした。
幸いにも5つもの大小の補助金を獲得し(その一つは、他社が採択した補助金で、私どもが支援を行う形態でした)、まずは、それを「やり切る」ことが問題になりました。
このチャンスを契機にして文字通りの「研究開発型」になれるかどうか、これが問われることになりました。
また、私自身にとっては、「研究者としての開発」ではなく、「技術者としての開発」が真に試されることになりました。
最初は、医療機器、洗浄機器の開発から始まり、次に環境機器、農業機器、そして福祉機器の開発へと発展していきました。
これは、文字通り、マイクロバブル技術の有する分野の広さの反映でもありますが、これらには、さまざまな関係者を巻き込んでの「実践的な課題解決」に取り組んだことに重要な特徴がありました。
ご周知のように、技術の開発は、常に激烈な競争下に置かれています。
新技術は、旧技術を負かし、新たな常識を形成させていく核になっていくものです。
発明王エジソンは、晩年、自分の人生を振り返って「勤勉」、「粘り」、「常識」という3つの用語の大切さを語りました。
まじめに、そして、とことん粘って、非常識の発明を常識に変えていくことの大切さを、それらの用語にまとめて示したのでした。
さて、このエジソンの3原則に照らすと、この間のマイクロバブル技術の開発は、どうだったのでしょうか?
たしかに、勤勉に、そして、その達成目標を実現するために、粘りに粘ったことは事実ですが、最大の問題は、その「非常識を常識に変える」ことができたのかどうか、ここが問題になりました。
この場合、「非常識」とは新技術のことであり、「常識」とは、その新技術が社会の中で定着していくことを意味しています。
その際、その非常識の度合いが大きいほど、すなわち、独創的で革新的な技術であればあるほど、それは吃驚現象として認識され、その定着までには長い時間を有することになります。
それでは、マイクロバブルの「非常識と常識」は、いったいどうなのでしょうか?
この核心的問題を考える際に、私が最優先することは、「いかにして、マイクロバブルの優れた物理化学的特性と生物的機能を引き出すか?」にあります。
ここから導いたものが、研究開発補助金を申請する際の具体的な「目的」、「達成目標」に結びついていきます。
ここが不明、あるいはあいまいになりますと、その目的をリアルに書くことができず、その申請や開発は最初から躓(つまづ)くことになります(つづく)。
いつものことですが、このような作業は、最後に時間が無くなり、その分だけ睡眠時間を減らして対応せざるを得なくなります。
当然のことながら、マイクロバブルがあっても、この体調の変化に対応できないところも出てきます。
そして、なんとかそれを乗り切っても、しばらくは、その疲労が残ってしまい、ここでもマイクロバブルのお世話になります。
その疲労は徐々に蓄積されたものでしょうから、おそらく、それが抜けていくのにも同じだけの時間がかかるのでしょう。
さて、一昨日、珍しいことに、「よい夢」を見ました。
そこには、私自身が、何かで、うれしそうに喜んでいる姿がありました(私の夢は、常にきれいなフルカラーの映像が出てきます)。
私の場合、この種の夢を見ることはなく、たいがい、何か失敗した事例が多く、夢から覚めて、夢でよかったと思うのが常ですが、その夢はまるで違っていました。
「なぜ、このような夢を見たのであろうか?」
そう思いながら、その訳を考えてみることにしました。
ーーー そういえば、いくつかの分野で明るい話題が増えているようだ!
ここ最近の状況、とくに国東に来てからは、なかなか、このような兆しは見えてくることはありませんでした。
2012年に、ここ大分県国東市に移住、それに伴う会社の移転、住処の新築、これらの新しいことが重なったからでしょうか、その年の年末から体調を崩し、年明けから入院、最初の頃は生死淵を彷徨い、結局68日間という長きにわたる入院生活を送ることになりました。
退院の2013年春から、徐々に職場に復帰し、どう再生を目指すかが重要な課題となりました。
移転と入院で、いわば「どん底」状態からの再スタートとなり、最初に考えたことは、その資金を得るために、研究開発補助金を申請することでした。
幸いにも5つもの大小の補助金を獲得し(その一つは、他社が採択した補助金で、私どもが支援を行う形態でした)、まずは、それを「やり切る」ことが問題になりました。
このチャンスを契機にして文字通りの「研究開発型」になれるかどうか、これが問われることになりました。
また、私自身にとっては、「研究者としての開発」ではなく、「技術者としての開発」が真に試されることになりました。
最初は、医療機器、洗浄機器の開発から始まり、次に環境機器、農業機器、そして福祉機器の開発へと発展していきました。
これは、文字通り、マイクロバブル技術の有する分野の広さの反映でもありますが、これらには、さまざまな関係者を巻き込んでの「実践的な課題解決」に取り組んだことに重要な特徴がありました。
ご周知のように、技術の開発は、常に激烈な競争下に置かれています。
新技術は、旧技術を負かし、新たな常識を形成させていく核になっていくものです。
発明王エジソンは、晩年、自分の人生を振り返って「勤勉」、「粘り」、「常識」という3つの用語の大切さを語りました。
まじめに、そして、とことん粘って、非常識の発明を常識に変えていくことの大切さを、それらの用語にまとめて示したのでした。
さて、このエジソンの3原則に照らすと、この間のマイクロバブル技術の開発は、どうだったのでしょうか?
たしかに、勤勉に、そして、その達成目標を実現するために、粘りに粘ったことは事実ですが、最大の問題は、その「非常識を常識に変える」ことができたのかどうか、ここが問題になりました。
この場合、「非常識」とは新技術のことであり、「常識」とは、その新技術が社会の中で定着していくことを意味しています。
その際、その非常識の度合いが大きいほど、すなわち、独創的で革新的な技術であればあるほど、それは吃驚現象として認識され、その定着までには長い時間を有することになります。
それでは、マイクロバブルの「非常識と常識」は、いったいどうなのでしょうか?
この核心的問題を考える際に、私が最優先することは、「いかにして、マイクロバブルの優れた物理化学的特性と生物的機能を引き出すか?」にあります。
ここから導いたものが、研究開発補助金を申請する際の具体的な「目的」、「達成目標」に結びついていきます。
ここが不明、あるいはあいまいになりますと、その目的をリアルに書くことができず、その申請や開発は最初から躓(つまづ)くことになります(つづく)。
コスモスさん、しっかり生きていますね。
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