9月20日付の日本経済新聞の「経済教室」に興味深い記事が出ていましたので、本日は、その論評を試みることにしましょう。

 筆者はM氏、職業は国立のK大学の方でした。

 その見出し記事は、「創造的破壊、起死回生の鍵」、「強い経営で攻勢に転じよ」でした。

 記事の内容に関するポイントとしては、次の3つが示されていました。

 ①生産現場は強いが大変化には対応できず
 
 ②米産業はネットワークの経済で強み発揮

 ③破壊を伴う創造行為が産業競争力を左右


 さらに、産業競争力指数として、テレビ、集積回路、自動車が選ばれ、その比較が1980年と2015年で次のように比較されていました。

            1980年       2015年

 テレビ        1.0         -0.22   

 集積回路      0.58          0.18

 自動車        0.96                       0.78

  産業競争力指数=(輸出額-輸入額)/(輸出額+輸入額)

 このように、1980年においては、テレビ、集積回路、自動車の3つが、高指数を示していたにもか変わらず、テレビはマイナス、集積回路も大きく低迷、自動車も減少傾向の指数を示すまでになっています。

 それでは、以上を踏まえ、M氏の主張を紹介しましょう。

 その第1は、1980年を前後して「
産業競争力」という用語がよく用いられるようになったそうであったことです。

 いわゆる「黄金の80年代」ともいわれた時期のことです。

 かれは、その時期について、「なぜ日本の絶頂期は一瞬で終わってしまったのか」という思いを込めて振り返っています。

 そして、この時期の産業競争力の特徴は、いわゆる「護送船団方式」と呼ばれた電機および自動車の企業群の上から下までが挙って、その力を発揮したことで世界を驚かせたことにあった、と強調されています。
 
 今や、テレビとDRAM(半導体)の首位は韓国になり、自動車においては日産、マツダ、三菱自動車が外資に救済を仰ぐ事態を迎えてしまい、「もはや産業競争力は死語になってしまった」という認識が示されています。

 その絶頂期が一瞬で終わってしまった理由については、日本の産業競争力の根源は、「生産現場や実務組織」にあり、そこでは、「大きな変化に対応できる経営人材が育つ余地がなかった」からであったと説明されています。

 ここでいう「大きな変化に対応できる」とは何を意味するのでしょうか。

 同氏の記事の中に、それに該当することを探すと、次の2つが指摘されています。

 その第1は、その経営において80年代の日本は「致命的な弱点」を抱えていたというのです。

 この弱点についての明言はなされていませんが、おそらく、その文面から理解すると、それは、

 ①モノづくりのみにこだわったこと

 ②先行きが不透明になったこと

 ③アメリカを中心にした多面的攻撃を受けたこと

の3つのことをいっているのではないかと思います。

 その第2は、「規模の経済」から「ネットワークの経済」へと世界が変化し、米国のベンチャー企業が世界をリードしていることです。

 すでに周知のように、アップル、グーグル、フェイスブックなどであり、これらにおいてなされてきたのが、「強い経営」による「創造的破壊」であったとし、日本も、この破壊なしには発展を遂げることはできないと結論づけられています。

 これらが、同記事の要旨と結論でした。

 まず、これを拝読した際に、はたして、「創造的破壊」をされた側が、どのようにして新たな「創造的破壊」をし返すのか、これが明らかになっていないと思いました。

 また、それを遂行するための「強靭な経営」をどうやって生み出し、上記の「致命的弱点」を、どう克服していくのか、これについての言及もありませんでした。

 おそらく、これも「創造的破壊でしか生まれない」といっているかのようで、これに関する「明察」もなされていないように思われました。

 はたして、これでよいのでしょうか?

 結局は、創造的破壊をした側が、その破壊をさらに徹底して、破壊しつくしてしまうのではないか?

 このような危惧を抱いてしまいました。

 次回は、その危惧についてやや深く分け入ることにしましょう(つづく)。

noibara20160921
前庭に咲いていたミニバラ