「徳山高専卒業生」からのコメントの重要部分を以下に示します。

 「
早速ながら、本件(次世代「高専教育」論)を具体的に掘り下げるにあたり、 目的・Scopeの定義、確実に仕上げるための基本方針・枠組み(Framework)等をご教示願えれば幸いに存じます。
 この種の基礎的検討に於ける模索は、関係外秘・密室にて策定される狭小な識見・偏見が付き纏います。 が、初期段階は『前座』と割り切ってオープンに議論すべきであり、極力「健常な環境下」で、誰もが納得する論理構築を経るのも肝心と考えます。斯様な耐性・靭性を持ちえない姿勢・視野では、何ら世間へ問う価値も無かろうかと…。 」の力強い激励と協力の申し入れがあり、私の心は、それらの刺激によって奮い立たされています」


 なお、ひとつお願いがあります。

 それは、私の実名が、貴殿のコメント内で示されていることに関することです。

 このブログの開始は、前職場にいたときでしたので、そのパターンを踏襲しています。

 できましたら、「O先生」、あるいは「Oさん」、「マイクロバブル博士」と呼んでいただけると幸いに思いますので、どうか、この点、よろしくお願いいたします(*1)。

 *1):世の中には、性格が真っすぐでない方もおられるようで、私が意のままにならないと悟ってからは、逆に私を攻撃してくる方もいました。その折、このブログがやり玉にあげられました。

 しかし、このブログの執筆者は「マイクロバブル博士」であり、その指摘には該当しませんという反論を行い、それで、すぐに治まりました。「そんなこともあるかもしれない」と想定していましたので、こちらの知恵の方が勝ったようでした。

 今では、その心配はありませんが、そのスタイルを変更する必要はありませんので、ご高配をよろしくお願いいたします。


 さて、最新のコメント2回分の返事を、以下に示します。


徳山高専卒業生殿 

早速の追加コメント、ありがとうございます。

本ブログ上において、この主題に関する議論は、常にオープンで行われることが望ましく、それを微塵たりとも秘とするつもりはありません。

読者もそれを望んでいますので、その大前提のご確認をよろしくお願いいたします。

それを踏まえて、小論「高専は、どこに向かうのか」においては、次の視点が大切ではないかと思っています。

     高専の現状をどう認識するか。これについては、危機的状況に陥っているにも関わらず、それを正しく認識できないのはなぜか。

  あるいは、正しく認識しようとしない理由はどこにあるのか。

  ここに重要な本質的問題が横たわっています。

  その危機の認識を深めることができないと、それを打開して持続的発展に結びつけていくことが不可能になりますので、まずここが非常に重要な分水嶺になります。

     高専には、創立以来の根深い「構造的問題」が存在しています。

  これらが、上記の高専危機が生み出す要因であり、これらの問題を本質的に解決しない限り、その打開と持続的発展は困難ではないかと考えています。

     しかし、②の問題は、必要条件であり、十分条件ではないと考えています。

  つまり、それらの問題が改善されない限り、前には進めないという問題ではなく、ここから内発的に改革を行うという重要な視点が生まれてきます。

  高専54年の歴史を振り返れば、この後半から、この視点に基づく実践が生まれてきて、それが重要な成果として鮮明になり始めています。

  この②を内発的に解決しようとする巨大な流れが、現在の高専を特徴づけ、そこに豊かな発展の可能性を見出すことができます。

     この問題を考察する際に、新たな側面が生まれてきたことです。

  それは、「高専機構」という高専全体を統括する組織が生まれ、それが巨大な統括を実行し始めたことです。

  これによって、何が変化したのか、この総合的な分析と考察が重要になってきました。

  たとえば、ある高専の校長は、「自分は、高専機構の支店長に過ぎない」と公言するようになりました。

  その校長人事が気になって仕方がない方もずいぶん増えてきました。

  結果として、かつてのように、60近い高専の校長が、その城主として群雄割拠して持論を自由に展開させるという光景は、ほとんどなくなってしまいました。

  最も典型的な変化は、「自前の高専発展論」を展開させた「持論」がほとんど消滅してしまったことです。

     この3月に、高専に対する「協力者会議」という組織における検討結果が出されました。

  これは、同じ時期に「専門職業大学」に関する中央教育審議会のまとめの文書が答申されましたので、それとの比較において、高専の立ち位置をより明確にしたいという意図が働いたからではないかと推察しています。

ここでは、紙数のこともあり、この程度の指摘に留めますが、この④と⑤の視点からの十分な分析と考察を明示することが重要ではないかと思っています。

     その根本的な打開のための方策を示し、それを運動論としても究明していくことが重要です。

  それは、ある意味で豊かな高専論を展開し、実際の高専の持続的発展に結びついていくものですので、少なくない高専関係者の関心を集めることになるでしょう。

  これは、いわば「高専の長所伸長論」であり、これを深く、そして豊かに、さらには、ゆかいに論じていくことが、高専の持続的発展の未来を切り拓いていくのではないかと思っています。

 そのために、自分の足元をしっかり観て、そこに「滾々と清水が湧く泉」を掘り当てる必要があるのです。

徳山高専卒業生殿には、この視点に関するコメントをいただくことができれば、真に幸いに思います。

なお、本ブログのコメントを通じてのやり取りでは十分でないと判断し、本文において、このような形式で返答することにしました。この点のご高配も、よろしくお願いいたします。


 
(つづく)。
akaihana0828
            裏庭の百日紅(さるすべり)の花が鮮やかに咲いていました。