小論「高専は、どこに向かうのか」を考察する際に、まず、高専をめぐる教育機関の全体を理解しておきましょう。

高等教育機関における高専の占める割合
本図からも明らかなように、わが国における高等教育機関における学生数割合は、わずかに1%しかありません。
また、高専の学生数は約1万人であることから、他の教育機関における総学生数は99万人となり、ここには大きな量的差異が存在しています。
それでは、高卒が最も多かった1998年の181万人を基準にして、2014年時点における学生総数の変化は、どうなったでしょうか?
この図からも明らかなように、高校卒業生は、この16年間に42%も減少しています。
しかし、大学生は、逆に、10%増え、高学歴化が進んでいることがうかがえます。また、短大は76%も減少し、同じく専修学校も28%の減少を示しています。
ところが、高専は、この間も不変であり、その学生数は、単一学年で約1万人が維持されたままでした。
これらをまとめると、この16年における特徴は大学への高学歴化にあり、それは、4年制大学生の増加、短大生および専修学校生の減少、高専生数は維持という具合で進行してきたといえるでしょう。
もう一つの留意点は、これらの変化は、国公私立のうち、主として最後者で起こったことであり、当然のことながら、高専は最前者が圧倒的に多数であることから、その変化の波の影響を受けることはありませんでした。
高専は、あまりにも量的には少なくて、社会の変化に影響は受けても、逆に、社会に大きな影響を与えることは、ほとんどなかった、これが量的側面から特徴だったのではないでしょうか。
いわば、4年制大学の「一人勝ち」とも見られる状況のなかで、私立側にとって、その学生数が大幅に減少することは、その経営そのものに重大な影響を与えますので、その将来を、どう確立していくかは死活問題に等しいことであったのだと思います。
そしてもう一つの重要なことは、専門高校生63万人のうち、その大半を占める工業系、商業系の専門高校生の卒業後の進路問題でした。
この専門高校における学科数の比率は、最高時の1960年には41.5%だったのに対し、今では、それが約半減の18.7%にまで減少しています。
これは、高度成長の時代が過ぎて、職業教育の在り方の見直しが求められたなかでの変化を意味していました。
これらの大きな動向のなかで、今回の「専門職業大学問題」が出現しました。
「この動きをどう理解したらよいのか?」
「そして、高専は、これにどう対応していくのか?」
これらが問われることになりました(つづく)。
高等教育機関における高専の占める割合
本図からも明らかなように、わが国における高等教育機関における学生数割合は、わずかに1%しかありません。
また、高専の学生数は約1万人であることから、他の教育機関における総学生数は99万人となり、ここには大きな量的差異が存在しています。
それでは、高卒が最も多かった1998年の181万人を基準にして、2014年時点における学生総数の変化は、どうなったでしょうか?
この図からも明らかなように、高校卒業生は、この16年間に42%も減少しています。
しかし、大学生は、逆に、10%増え、高学歴化が進んでいることがうかがえます。また、短大は76%も減少し、同じく専修学校も28%の減少を示しています。
ところが、高専は、この間も不変であり、その学生数は、単一学年で約1万人が維持されたままでした。
これらをまとめると、この16年における特徴は大学への高学歴化にあり、それは、4年制大学生の増加、短大生および専修学校生の減少、高専生数は維持という具合で進行してきたといえるでしょう。
もう一つの留意点は、これらの変化は、国公私立のうち、主として最後者で起こったことであり、当然のことながら、高専は最前者が圧倒的に多数であることから、その変化の波の影響を受けることはありませんでした。
高専は、あまりにも量的には少なくて、社会の変化に影響は受けても、逆に、社会に大きな影響を与えることは、ほとんどなかった、これが量的側面から特徴だったのではないでしょうか。
いわば、4年制大学の「一人勝ち」とも見られる状況のなかで、私立側にとって、その学生数が大幅に減少することは、その経営そのものに重大な影響を与えますので、その将来を、どう確立していくかは死活問題に等しいことであったのだと思います。
そしてもう一つの重要なことは、専門高校生63万人のうち、その大半を占める工業系、商業系の専門高校生の卒業後の進路問題でした。
この専門高校における学科数の比率は、最高時の1960年には41.5%だったのに対し、今では、それが約半減の18.7%にまで減少しています。
これは、高度成長の時代が過ぎて、職業教育の在り方の見直しが求められたなかでの変化を意味していました。
これらの大きな動向のなかで、今回の「専門職業大学問題」が出現しました。
「この動きをどう理解したらよいのか?」
「そして、高専は、これにどう対応していくのか?」
これらが問われることになりました(つづく)。
コメント
コメント一覧
大成先生、この領域で
尚もご自身のお考えを世間へ訴えておられるとは…。
懐かしく、また頼もしい限りです。
「高専教育」は、貴殿の原点であり、活力の源であろうと
拝察します。中学卒業し、高専の門を潜ろうとする学生は、
工学に於ける将来の希望を託された「少数精鋭」の筈。
これを受け止める教育者の立場で、その父兄・本人の可能性と
責任を貫けば、危機感は自ずと湧き上がってくる…。
教官が追い求めるは、焼き直しの様な「+2年(学卒)」
「+2年(修士了)」に象徴される体裁ではないと思います。
極限まで理論/実践を突き詰めた果てにある「創造性」を目指し、
貴重な「5年間」(十代)の内に特定の専門分野に偏らない
総合工学の神髄を叩き込む。延長して、地元産業に深い理解と
興味・機会・インセンティブを与え、地場で「新規事業展開」
し得る企業家・指導者を養成する戦略的カリキュラム内容・
教官人材の刷新が必要と考えます。
高専教育には、単なる「工学」に止まらず、地元に寄り添って
これを最大限活かす「実業」「経営」視点に優れた人材を輩出する
役割を担って欲しいものです。
まことに立派なコメントをいただき、ありがとうございます。同時に、このような見識を有する卒業生がいることを心よりうれしく思い、私も励まされました。
じつは、おそらく高専教員と思われる方から、5回にわたって私の記事に関するコメントをいただき、私の心に再び火が点いて、このシリーズの記事を書くくことを決めました。今回は、可能な限り、総合的な視野から、「高専は、どこに向かい、どこに向かうべきか」をより深く考察してみたいと思っています。また、その考察を踏まえて、本格的な論文化を目指すことにも視野に入れています。
ご指摘のように、高専教育の利点が、激しい競争のなかで試される時代が来ようとしています。また、そのなかで、高専が独自の展望を抱いて、知恵と工夫をこらした実践をおこなうことでしか、自らの状況を打開できないこともより明らかになってきています。
その意味で新たな試練を迎えている高専と高専教育が目前に存在しています。そのことを踏まえるとあなたのご意見は、非常に重要で、その鍵を握るような先進性を有しています。また、その実感も非常に大切であり、説得力があります。
やや時間がかかりますが、これから続く連載の一読の方も、どうかよろしくお願いいたします。
久しぶりに、卒業生の元気な意見に接し、私も、その元気の一部をいただいた気持ちになりました。厚く御礼申し上げます。
謹啓 稚拙愚見ながらも、早速のご回答を頂戴し恐縮に存じます。
「先進性」「実感」「説得力」の根源は、在学中に賜った先生ご自身の
生き様であり、ご指導・訓示そのものであったと心得ます。
「専門職業大学」コンセプトの提唱は、高専教育「+2年(学卒)」
「+2年(修士了)」に加えて、「技術科学大学」構想と同様、過去・既存に
類似するものと差異化不明瞭・大差なく、HBS(Harvard Business School)や
MIT(Massachusetts Institute of Technology)の如く、『突き抜ける』べき
本邦科学技術高等教育レベルを国際水準へ導く競争力強化には遥か及ばない
と思います。
加えて、とにかく目線が低い…。私は、「高専」の事実へもっと、もっと
遡及して「高専」の存在意義・足元を丁寧に見つめることで貴重な示唆と
軸がブレない展望が得られると考えます。
・全国都道府県へ分散配置(地元各論に耐える地方経済創生へ貢献)
・中学卒業後5年間以上を連続一貫教育(工学のおもしろさを
根っこから叩き込む)
・高い機動力・適応性を養う教育指導原点「実践」(当事者意識)
・日本「理系男子」の象徴的存在 等
「本格的な論文化」をご検討中との由、徳山高専OBとして、
御手伝いできることがあれば、何なりとお申し付け下さい。また、
地場産業に於いて『なぜ工学はこれからも大切なのか』『どう工学を活かすのか』
『工学の何を掘り下げるのか』…等に向き合い、高専教育カリキュラムに
「工学」と企業経営「戦略」を融合させた先鋭的な新領域を創設する準備を
進めております。
この機会、是非ご恩返しをさせて頂きたく、
謹んで申出る次第です。 謹 白
的確なコメント、力強いお申し出、ありがとうございます。ぜひとも、ご協力をよろしくお願いいたします。2012年の春に、高専教員から企業人へと移行してしばらく経ちましたが、その間、私が最も重視してきたことのひとつに、「地域に根差した技術づくり」があります。これは衰退しつつある地域の産業を、どう再生し、そのイノベーションによって、それを地方経済、ひいては日本経済に点火していくかという課題でした。そのために、足元にある企業をいかに研究開発型にし、その徹底を図るか、その流れを世界に広めるか、これも重要な視点でした。
これらは、高専時代に、より深く追究しようと試みたことではありましたが、それは必ずしも十分な段階には達していませんでした。
おそらく、ここに次世代の高専教育と高専の在り方に関するヒントが存在しているのではないかと思っています。ご指摘のように、困難を多く抱えている現実を実践的に突き抜ける(ブレイクスルー)試みとその洗練化を行った教育がなされないかぎり、その未来を築き上げることはできません。
その意味で、専門職業大学も、高専も、そのことがより本質的に問われることになるでしょう。私は、その高専の未来に関するヒントは、自分の足元にあるのではないかと思っています。高専自らが、足元に隠れている、こんこんと湧いてくる豊富な水量を持つ泉を掘り当てることができるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
その泉の探究に関して協力と支援をしていただけることは、私にとっても、とても素晴らしいことです。この仕事は、決して一人ではできないことであり、映画「7人の侍」のような緻密で巧妙な作戦と人の和が必要ですので、どうか、よろしくお願いいたします。
早朝のご回答、深謝申し上げます。以下、乱筆乱文を何卒ご容赦頂きますよう、
宜しく御願い申し上げます。
次世代「高専教育論」を再編・推論構築する際、その「強さ」「効率性」
「求心力」を探究する上で、演繹的・帰納的にアプローチ・組成するのみでは、
早晩その組織論には限界が訪れる懸念があります。貴殿ご指摘の
『こんこんと湧いてくる豊富な水量を持つ泉を掘り当てる』には、
「遡及推論」検証過程を主軸に据えて形骸化した既得権益・学術知見を
徹底的に「解体」し、地元現場(上場企業各種工場・事業所・地場産業群)が
真に欲する工業分野人材の即戦力や供給持続可能性 等を新規デザインし直す
「出口戦略」と相乗させる統合アプローチが肝要と考えます。
1960年代当初の「高専制度」創設主旨を裏付ける日本「高度経済成長」は、
最早意味のない産物。Industrie 4.0等にみる自国「産業革命」の基本総合戦略を
高専関係者自身が積極関与・率先垂範して描き切る「覚悟」と「実力」(根拠)が
ないのに、即戦力として『地方経済・日本経済を活性化する』は単なる戯言に響く
のでは…。その責任と危機感を識別・具体的に行動し得ない高専関係者は、潔く
退場すべきと思料します。
(前半終了)
「即戦力」についても、その重要性を理解することができますが、それが何なのかが明確になっていません。かつて、それを盛んに主張する論者がいました。その方は、今も、高専の第一線におられますが、まずは、「即」戦力か、それとも「即戦」力なのかを明確にしたらどうかと尋ねると、黙ってしまいました。これでは好ましいとはいえず、より深い究明が必要と思われます。
地方の危機的状況を新技術でいかに救済し、それを持続的な発展に、いかに結びつけるか、その技術的イノベーションを生み出すことができる高専教育の概念と手法を開発することが何よりも重要と考えます。
コメントの後半の部分については、ご指摘の通りで、高専の構造的問題に依拠して保守的な徹底を図るしかない高専関係者は、この改革の場から去っていくべきでしょう。