先日、備前焼作家の森陶岳先生から、今回の巨大窯で焼かれた「大皿」が届きました。

 立派に専用の箱に収められ、品書きも添えられていました。

 あの85ⅿの窯の作品ですから、驚きと共に、たいそう感激しました。

 森先生、真にありがとうございました。

 その大皿は、横長の長方形で、周囲には、小高い縁どりがなされて」いました。

 色は、茶色で、その皿の表面には焼成時にできた模様と小さな隙間が一部にできていました。

 周囲は、乾燥のために薄茶色になり、皿の中央をやや濃い茶色を呈していました。

 そして、なんといっても、このお皿には備前固有の重厚感があり、ほれぼれするような色と形、そして重みがありました。

 質実剛健な皿でありながら、どこかに品のよさを覚える、真にみごとな皿でした。

 さて、その皿をいただいたお礼に手紙を書かねばと思っていたら、テレビに古備前の壺が紹介されていました。

 このなかで、一度、水に浸してみたらどうですかという提案がなされていましたので、それを聞いて、すぐさま、いただいた皿をマイクロバブル水に浸してみました。

 そしたらどうでしょうか。

 まず、周囲の小高い縁の部分から小さい気泡が出てきて、その縁に付着するようになりました。

 一方、中央部においては、表側と裏側の2か所から、これも小さい気泡が連続して出始め、それが数十分にわたって続いていました。

 このように長きにわたって小さな気泡が連続して出てくるということは、それに相当する水が連続して浸透していることを意味していました。

 --- そうか、このように水が入っていくということは、中にできている隙間同士が連なっていることを示している。

 その気泡の発生は、じっと観察していた私が飽きてしまうほど続きました。

 --- ということは、これはたくさんの水が入った甕のような皿ということか!

 なんだか、土でできた皿が、「水の皿」のように思えてなりませんでした。

 そのどっぷり水を吸い込んだ皿を机の上に置いて、しばらく観察することにしました。

 先ほどとは、表面の色が変わり、土の色が鮮やかに出てきていました。

 そして、皿の中央部に手をあてると、なんと、ひんやりしているではありませんか。

 先ほど水に浸したのですから、そのように感じることは、当たり前といえば当たり前のことです。

 しかし、その翌日も、そして翌々日も、そこに手をあてると、しっとりとしていて、ひんやりと冷たいのです。

 明らかに、これは水の温度ではなく、水が蒸発するときの気化熱でひんやりすることが解りました。

 これは太陽光線を浴びた植物の葉っぱに手をあてるとひんやりする現象と同じです。

 --- なるほど、これが備前の七不思議のひとつに相当する現象か!

 この皿の上に刺身を並べると傷まない、美味しくなるということに結び付く「ひんやり現象」でした。

 以前に、森先生宅で「古備前」の破片を見せていただいたことがあります。

 これも、ひんやりしていて、しっとり感がありました。

 改めて、この現象において、小さな隙間が無数に空いたなかに水が浸入し、その出し入れが常に行われることによって生まれていることを確かめさせていただきました。

 しかし、この不思議は、それだけに留まるものではありませんでした。

 次回は、その新たな不思議の扉を開けることにしましょう(つづく)。
 
20160728bizennsara
                   85ⅿ巨大窯で焼かれた備前の大皿