前日と当日の2日間、いずれも、曇りのち晴れで、雨は一滴も降りませんでした。

 その前後は、いずれも雨でしたので、この2日間の天候は奇跡に近いもので、その幸運さに驚き、感謝させていただきました。

 また、この間、東京や山梨から来られたみなさんの訪問や滞在があり、いつもと異なる賑やかな毎日を過ごしていました。

 さて、この度の「おめでた」を私なりに振り返ってみることにしましょう。

 主人公の相棒とは、足かけ十年にわたる共同を行ってきました。

 その間、一貫していたことはマイクロバブル技術を生きた事例を通して実践的に相棒に引き継ぐことでした。
 
 研究であれば、その道の論文を読み、実験計画を立てて実践し、その成果を論文化して学会に発表する、そして、そこに新規性と有用性、進歩性があれば特許化も行います。

ほぼ、これらの成果を学んで発展できるようになれば、その伝承はなされていくことになります。

 しかし、マイクロバブル技術の場合は、この一般的なパターンとは本質的に異なる側面を有している部分が少なくありません。

 それは、実践的に、実際の現場を含むたたき上げでないと、生きた学習ができないことにあります。

 具体的には、それぞれの適用分野で微妙に差異が出てきて、その都度知恵と工夫を発揮せねば、その問題を解決することができないからです。

 その理由は、適用範囲がきわめて膨大であること、既存の技術との融合が可能ですが、それは意外と簡単ではなく、しかも、その最初のわずかな成功に関する評価も容易ではないことなどにあります。

 そして何よりも重要なことは、その実践結果を理論としてまとめあげ、さらにその構築を遂げていくことも求められることです。

 マイクロバブル技術に関しては、その創設の1995年以来、その開発と普及に関する文字通りのリーディングカンパニーとしての実践を、私と相棒で担ってきたという自負をもってきたのですから、これを放り投げる、あるいは、少しも停滞させることはできないのです。

 この数年間を振り返れば、その代表的試練の最初は、東日本大震災復興支援プログラムに取り組んだことです。

 山口県から岩手県大船渡市まで、日程をやりくりして定期的に通うことさえ、容易ではありませんでした。

 レンタカーと宿の確保、現場での装置の据え付け、運転、維持管理、これに、天候不順、余震や予期せぬ出来事などがあり、相棒と共に、大いに鍛えられました。

 そして、ぎりぎりまで、この作業を続けたことから、定年後の引っ越し作業も容易でなく、こちらにきてからも、その整理が延々と続くことになりました。

 そして、すべての疲れが押し寄せてきたのでしょうか、68日間の病気入院も余儀なくされ、そのせいで、私の相棒もほとんど仕事らしい仕事を遂行することができなくなりました。

 退院後、最初に相棒に相談したのは、2つの会社をどう動かすかでした。

 「とにかく、活動資金がないので、研究開発のための補助金を申請することはどうでしょうか?」

 「それはい、いことですね」

 「これからは、文字通りの研究開発企業に転身していく必要がありますね」

 「具体的に、何をやりますか?」

 「まずできるところから、今の技術を最大限生かすアイデアを集め、洗練させましょう」

 「そうしましょう!」

 こうして、相棒と二人三脚で、研究開発補助金の申請書作りが始まりました。

 私が全体構想、目的、具体的内容、計画、期待される効果等を分担し、相棒は、装置設計とその予算化を担当しました。

 前者においては、その採択にふさわしい目玉が重要であり、それを実現可能にする計画を示すことが求められました。

 一方、後者においては、具体的な装置の設計能力が深く問われることになりました。

 そして、これらの検討が進むにしたがって、互いの意見が深まりながらも、その細部においては衝突が起こることもありました。

 また、食品、植物、医療、福祉、洗浄などの非常に広い範囲における研究開発の課題設定を行ったことから、その具体的な課題における調査と学習を踏まえながらの研究開発計画の立案を行うこともありました。

 幸いにも、そのほとんどが採択されたことで、実際の設計能力が具体的に試されることになりました。

 しかし、これらの研究開発の目標を実際に達成し、事業化、商品化を実現していくことは容易なことではありませんでした。

 また、必要な書類の用意、中間報告書、事業報告書づくり、途中での審査をパスする応対、各種の書類づくりことなど、綿密な作業が求められることになりました。

 これらを相棒を中心にして、なんとかクリアできたことも貴重な経験でした。

 なにせ初めてのことが多く、しかも短期間に、いくつもの作業が重なったことから、目の前の峰を通過すると、すぐに次の峰が待ち構えているという具合で、目まぐるしい対応の連続となりました。

 このように、申請書づくり、実験、報告書づくりに明け暮れた3年弱でしたが、おかげで、装置作りに関する設計能力は格段に進歩し、それらをより発展させながら、高度に活かす段階がやってきたようです。

 こうして、マイクロバブル技術に関する新たな開発を徐々に実行していったことが、相棒自身の身を固める自信にも結びついていったようで、私としても、「目でたい、よき日」を迎えることができました。


 梅雨の晴れ間に、早朝から宇佐神宮に向かい、そしてZECCOでの心温まるパーティーで喜びを分かち合い、これからの新たな人生を相棒夫婦と確かめ合うことができました(この稿おわり)。
ajisai
裏庭の紫陽花