昨日は、朝から別府に出かけて打ち合わせをしていました。

 別府および由布地方は、今回の地震の震源地であり、昨日の午後には震度5強の強い揺れがありました。

 その打ち合わせ宅においても、置物が倒れ、ケースの中に入った人形が、横の方に向いていました。

 この地震、どうやら、「前震」、「本震」という単純なものではなく、「群発地震」の様相を見せ始めており、より北東へ、さらには南西へと伸びていく危険性を孕んでいるという地震学者の見解も出始めています。

 容易ならざる事態ですね。

 同時に、これほど高度に発達した資本主義国でありながら、毎回の地震で大量の被災者を出しながら、多くの人々を苦しめることが常態化していることを考えると、防災対策の基本が確立されていないことを指摘せざるをえません。

 群発地震の総発生数が1000回を超え、ますます、危険な方向に事態は進行しているように思われますので、油断は禁物です。

 さて、セミナー2日目を振り返ることにしましょう。

 2日目は、私の講演を「帰納と演繹」という範疇で区別すれば、その後者に該当する内容でした。

 そこで、その講演の柱となるキーワードと概念を最初に示すことにしました。

 

 このなかから、とくに重要な項目を色付けして選び、その解説を加えていくことにしました。

 さて、最初の問題は、これまで何度か説明してきた「鋭く、大きな直観」の問題です。

 この大切さを理解したのは、小説『日本沈没』(小松左京著)に登場する「田所雄介博士」による日本沈没の予知に関する思考と行動でした。

 時は、高度成長にやや限りを見せ始めた1970年代初めでしたが、「日本沈没」という壊滅的現象が日本列島を襲うことを、どうして予知し、社会に知らしめるか、これは田所博士の能力にかかっていました。

 最新の科学の成果から、鋭く大きな直観を用いて、日本沈没を予測する過程は、非常におもしろく迫力のあるものでした。

 そして、科学者であれば、このように、鋭く大きな直観の持ち主にならなければならない、と思うようになりました。

  この田所雄介博士に、せめて近い学者は現れないのか、そのことに思いを強めたのが、今回の地震報道でした。

 奇妙なことに、今回は、地震が発生した最初の数日間において、権威ある地震学者がNHKをはじめとして各放送会社の番組にほとんど登場することはありませんでした。

 なぜでしょうか?

 そして、この間は、気象庁の広報官の記者会見がほとんど唯一の科学的情報の開示の場となっていました。

 たとえば、NHKでは、地震の状況を解説者が説明し、その科学的根拠らしきものは、すべて、その気象庁の発表に依拠していました。

 ここには、地震研究の専門家としての「鋭く、大きな直観」に基づく見解は、ほとんどなく、「新しいことなのでよく解らない」、「1週間ばかり様子を見る必要がある」という見解ばかりが目に付く程度でした。

 ある地震研究者は、この広報官のことを学者上がりの「正直な方」と評されていましたが、問題は、この方の資質にあるのではなく、しっかりした科学的データと見解を出すことによって、被害を最小限に留めることに全力を注ぐべきではなかったかということにあります。

 ある学者の指摘によれば、最初の地震後に「全員屋内待機」という指示が上位から出されたことが、本震における被害者の増大を招いたそうであり、ここにも、予測が外れた重大問題があるように思われます。

 災害は、最悪の事態を想定して、科学的な洞察に基づく見解によってのみ、切り抜けることができるのであり、あの3.11の場合も、前震で安全宣言が出されたことが、大きな油断を生み、本震での大きな被害を招くことになったという教訓があり、今回も、それが生かされなかったのではないかと思われます。

 さて、地震ほどではありませんが、今日、私たちが直面している問題では、これまでの常識が通用しない問題がいくつもあり、マイクロバブルの場合も、そのひとつの典型例ではないかと思っています。

 その意味で、地震学者だけでなく、多くの専門分野の学者、技術者、そして広くは一般の第1次産業、第2次産業に関わる多くのみなさんにとって、「鋭く、大きな直観」を養成することが必要な時代がきているのではないでしょうか。

 そこで、マイクロバブルの事例を踏まえて、この問題により深く私の分け入っての解説を行うことにしました(つづく)。