放送では,昨年7月の窯開けの際に,森先生から発せられた次の生の声が伝えられていました.
「何か,恐ろしいことが起きている」
「この巨大窯では,人知の及ばない,思いもよらないことが起こっているはずだ」,これを期待しての窯開けであり,そのことが,この言葉として表現されたのではないでしょうか.
おそらく,心の中で,なにか,とんでもないことが起きているのではないか,起きているはずだ,それが起こっているとどうなるのか,このような思いが過り,そのような言葉の表現がなされたのだと思います.
放送では,その「おそろしいもの」が,森先生自身によって取り出されます.
それは,白い色の水差しであり,みごとな「白備前」が誕生した瞬間でした.
今度は,弟子のみなさんが入れ替わりで,この白備前を見にきて感嘆されていました.
森先生は,その様子をじっと見ていて,一言,次のように呟きます.
「綿飴のようじゃ!」
これも大変意味深い言葉ですので,私なりの解釈を少し加えておきましょう.
綿飴とは,お祭りでよく売られている,白い綿状の塊の飴のことです.ザラメを溶かして筋状にし,それを集めると綿のような白い塊状のものができます.
新たに誕生した白備前の表面が,白くてふわふわと膨らんでいる様子を,このように表現されたのだと思われます.
まず,
1)白いこと,
2)ふっくらとした凹凸上の表面が形成されていること,
しかも,それらが,
3)火が当たった水差しの全面に形成されていたこと,
4)白備前にふさわしい芸術性に富んだ色と形を呈していたこと,
これらを直観的に表現しようとして,とっさに出てきたことが,「おそろしいこと」だったのではないかと推察しています.
従来の備前焼きにおいて,その表面の色や形状を様々に窯変させる世界は,その表面の垂直方向においては,わずかに,0.1㎜の厚さにおける変化を求めるものでした.
その世界においては,1)白色が出現していない,2)「ごま」という流動成分,あるいは流動した斑紋模様に留まるものでした.
ところが,今回の窯変においては,
1)新たに白備前と呼ばれる焼き物が出現した,
2)しかも,窯変の流動層の厚さも量もケタ違いに多く,したがって,その窯変も本質的に異なる新たな次元のものであった
のではないかと思われます.
放送は,白備前を床の間においてじっと見入る森先生の姿でクライマックスを迎えていました.
後に余韻を残し,新たに切り拓かれた奇跡の色の白備前をじっと観察する森先生の姿を示して,この放送は最後の締めくくりに向かいます.
それは,すべての作品が取り除かれた85ⅿ巨大窯の最上部において,森先生がそこから下を見おろすシーンでした.
つい数か月前まで,ここは,荒れ狂う火炎乱流との激闘がなされたところでした.
ここで,森先生は,きっぱりと言い切ります.
「もう,自分の作品を取り出して見ることはしない」
これは,次に思いをさせてスタートをしようとする姿であり,「生きているかぎり,次を究めたい」という芸術家の魂の発露が示されたのだと思います.
この奇跡の色,「白備前」を契機にして,新たな備前焼の世界が切り拓かれ,それにふさわしい時代がやってくる,その大きな歴史的転換が成し遂げられたことが,その言葉によって示されていたように思われました(この稿終わり)。
「何か,恐ろしいことが起きている」
「この巨大窯では,人知の及ばない,思いもよらないことが起こっているはずだ」,これを期待しての窯開けであり,そのことが,この言葉として表現されたのではないでしょうか.
おそらく,心の中で,なにか,とんでもないことが起きているのではないか,起きているはずだ,それが起こっているとどうなるのか,このような思いが過り,そのような言葉の表現がなされたのだと思います.
放送では,その「おそろしいもの」が,森先生自身によって取り出されます.
それは,白い色の水差しであり,みごとな「白備前」が誕生した瞬間でした.
今度は,弟子のみなさんが入れ替わりで,この白備前を見にきて感嘆されていました.
森先生は,その様子をじっと見ていて,一言,次のように呟きます.
「綿飴のようじゃ!」
これも大変意味深い言葉ですので,私なりの解釈を少し加えておきましょう.
綿飴とは,お祭りでよく売られている,白い綿状の塊の飴のことです.ザラメを溶かして筋状にし,それを集めると綿のような白い塊状のものができます.
新たに誕生した白備前の表面が,白くてふわふわと膨らんでいる様子を,このように表現されたのだと思われます.
まず,
1)白いこと,
2)ふっくらとした凹凸上の表面が形成されていること,
しかも,それらが,
3)火が当たった水差しの全面に形成されていたこと,
4)白備前にふさわしい芸術性に富んだ色と形を呈していたこと,
これらを直観的に表現しようとして,とっさに出てきたことが,「おそろしいこと」だったのではないかと推察しています.
従来の備前焼きにおいて,その表面の色や形状を様々に窯変させる世界は,その表面の垂直方向においては,わずかに,0.1㎜の厚さにおける変化を求めるものでした.
その世界においては,1)白色が出現していない,2)「ごま」という流動成分,あるいは流動した斑紋模様に留まるものでした.
ところが,今回の窯変においては,
1)新たに白備前と呼ばれる焼き物が出現した,
2)しかも,窯変の流動層の厚さも量もケタ違いに多く,したがって,その窯変も本質的に異なる新たな次元のものであった
のではないかと思われます.
放送は,白備前を床の間においてじっと見入る森先生の姿でクライマックスを迎えていました.
後に余韻を残し,新たに切り拓かれた奇跡の色の白備前をじっと観察する森先生の姿を示して,この放送は最後の締めくくりに向かいます.
それは,すべての作品が取り除かれた85ⅿ巨大窯の最上部において,森先生がそこから下を見おろすシーンでした.
つい数か月前まで,ここは,荒れ狂う火炎乱流との激闘がなされたところでした.
ここで,森先生は,きっぱりと言い切ります.
「もう,自分の作品を取り出して見ることはしない」
これは,次に思いをさせてスタートをしようとする姿であり,「生きているかぎり,次を究めたい」という芸術家の魂の発露が示されたのだと思います.
この奇跡の色,「白備前」を契機にして,新たな備前焼の世界が切り拓かれ,それにふさわしい時代がやってくる,その大きな歴史的転換が成し遂げられたことが,その言葉によって示されていたように思われました(この稿終わり)。
森先生が好きなホトトギスの花
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彼は5石の大甕の製作造りにあたって、大甕底の破片から謎の3点の傷をを解きほぐしている。謎解きができた時、彼は内心、小躍りしたであろう!! かってスペインのサグラダファミリア教会の夢構想を描いたアントニガウディの物理的なアーチの謎解きを発見したのとイメージがオーバーラップした。まさに「プロセスの中に感動あり」である。
TVで見た花器の白備前は陶器ではなく、まるで和紙で創られたようであった。驚きであった。
これですべてが終わったのでは、これからがスタートラインについた。この一言が彼らしい。
芸術家は「これで終わりというものは無い」。孤高の陶芸家・森陶岳。バンザーイ!!.