巨大な85ⅿの登り窯で焚いた薪は、その主力の赤松の老木で10トントラックで400台分、約30年をかけて、この薪が集められました。

 この赤松に加えて、3mの長さの檜の板と竹のそれぞれも大量に用意されました。

 これらは、横穴から投入され、左右の温度バランスを取るとともに、1000℃前後の高温焼成を可能にする薪でした。

 当番制ではありながらも、それは3時間おきに交替し、文字通り「寝ずの番」で窯焚きが4月まで行われました。

 この間、温度が下がり、皿に左右のバランスが崩れると一気に亀が割れてしまうので、細心の注意が払われ、窯焚きが持続されました。

 78歳の森先生が、体調を壊さずに、これを乗り切ることは至難のことであり、真にドクターストップ直前の状態での窯焚き作業が行われました。

 こうなると執念そのものであり、荒行に耐えながら、前人未到の窯焚きを続ける姿には近寄りがたい凄さがあったのではないでしょうか。

 この窯焚きの途中で、試験片(テストピースト)を取り出しての窯焼き作用の結果を調べることが行われました。

  みなさんを驚かせたのは、そのテストピーストに夥しい灰が降り積もっていたことでした。

 これに関連して、森先生がよく使われる言葉に「土が動いた」があります。

 この灰かぶりが、高温度によって溶けだして動き出すことも、この「土が動く」現象のひとつです。

 土の中のガラス成分が溶融され、流動する時に「ごま」模様が出現するのです。

 この「ごま」によって、備前焼き特有のきれいな文様が形成されるようになります。

 この文様が形成されるのが、窯の温度で1100℃前後であり、この温度状態、さらには窯の中の火炎流の状態をどう維持しながら、そして、どのくらい超時間にわたってゆっくりと焼くか、これが非常に重要な問題になったと思われます。

 この時、85mの巨大窯では、大きな炎の龍が、さぞかし存分に暴れ周ったことでしょう。

 この巨大な火炎流が、幅6m、高さ3mのトンネルの中で、そこに安置された作品群を鍛え、彩らせていったのでした。

 30年余の準備を行い、そして寝ずの窯焚きを終え、4月になって最後の過程である冷却と養生期間に突入しました。

 「途中で壊れはしないか」、「何が出てくるか、解らない」

 このような不安はなくなり、後は、巨大窯の中で静かに養生を遂げている作品群を待つだけの状態になり、森先生の表情には、この巨大プロジェクトをやり遂げたという安堵が現れていました。

 すでに、番組は最後の5分にまで近づいていましたので、「奇跡の色」に迫るクライマックスを迎え始めていました。

 みなが胸を躍らし、そして「もしうまく焼けていなかったら、どうしようか?」と不安が過る瞬間でした。

 真っ先に、窯の中に足を踏み入れた森先生が、次のように言葉を発しました。

 「恐ろしいことが起きている」

 これは、いったい、どういうことなのでしょうか?

 何を意味することなのでしょうか。

 「おそろしいこと」とは、何のことなのでしょうか?

 ここには、いくつもの意味があるように思われますので、正確には、直接森先生に聞いてみるしかありません。

 おそらく、これまでの常識を覆す、そして自らの経験においても予想できなかったことで、その非常識を受け入れなければならないという認識を得たこと、さらには、これが、今後に影響を与える大きさに思いを馳せられたのか、あるいはそれ以外のことか、これについては、いろいろなことが考えられますね。


 放送は、この奇跡の色、すなわち白備前の水差しを鮮やかにクローズアップして終わりとなりました。

 森先生の苦楽は、この白備前に現れ、新たな備前焼の歴史を創った、そのことを示すにすさわしい「白備前」でした(つづく)。
85大窯内部
85ⅿ巨大窯の内部(2014年11月)