小津映画の「東京物語」では、主人公の夫婦が実家の尾道に帰ってから急展開を遂げます。

 せっかく育てた子供や親しかった友人たちとのいいようのない断絶、隙間を感じた夫婦に待ち構えていたのは、その妻、子供たちにとっては母親の急逝という思いがけないことが起こってしまったのでした。

 視聴者には、まさか、ここまでの悲劇が起こるのかということを想起させる結末です。

 主人公には、親子の断絶に加えて、妻との永遠の離別という悲劇を背負わせることによって、この物語の主題は一層鮮やかに描かれることになりました。

 長い間連れ添い、そして仕事をやり遂げ、家庭で子育てをしてきた主人公の夫婦ですから、互いに苦楽のすべてを分かち合い、それらを乗り越えてきた仲ですから、そこには人生のすべてがつぎ込まれていました。

 映画では、この悲しい結末を前にして、熱海の海岸の防波堤の上で、互いに浴衣を着ての会話が印象に残りました。

 せっかくの熱海温泉での寛ぎが、そうとはならず、かえって気苦労の旅となってしまったにもかかわらず、この老練な夫婦の会話においては、不平の言葉は少しも出ず、実家に帰る話に終始します。

 そのことがかえって物悲しく、すぐ後に起こる悲劇を一層悲しいものにする暗示となっています。


 そして、最愛の妻の他界を迎え、最後まで、その主人公に付き合ったのは、じつの子供ではなく、亡き三男の妻でした。

 しかし、その妻も、主人公の慰労はできても、亡き妻の肩代わりはできず、最後は独りで生きてゆかねばならない寂しい会話を近所の知り合いと交わすところで、この映画は終わってしまいます。

 この親子の悲劇を主題にした映画は、その後も、黒澤明の「乱」においても再現されました。

 今回の旅の直前に、この小津映画を家内と視聴したことから、この旅の間中、この映画のことが思い出され、二人して、その比較の会話を頻繁に重ねてきました。

 そのこともあり、私としては映画と同じような結末にならないように、自然に心を配ることにもなりました。

 そして、無事、我が家に帰り着き、この正月元旦には、逆に、その甲府の孫たちと夫婦を迎えることになりました。


 「これで、私の東京物語は終わりか」と、思いながら、今回の東京での出来事をゆかいに思い出しながら大晦日を迎えようとしていたら、じつは、もうひとつの物語が生まれることになりました。

 それは、このブログに対するコメントをいただき、そして長い付き合いのMさんからの便りをいただいたことでした。

 それによれば、どうやら、私がますます現役としての仕事をし始めたことが、かれはにとっては、小さくない、そして好ましい刺激になったようでした。

 かれは、私の学会での基調講演をわざわざ聞きに来てくださり、学会にも入会されたとのことでした。

 また、学会終了後の懇親会の席上でもかなりの歓談を行いましたので、それも重要な効果をもたらしたようです。

 その後、かれからは丁寧なメイルと資料の送付があり、その一念発起で、新たに勉強したいが、どうかという旨の相談がありました。

 もちろん、熟慮の結果としての人生選択に関する相談でしたので、「前に進め」という私の意見を示させていただきました。

 これは、かれが、一生涯にわたってマイクロバブルとともに、その人生を彩りたいという意思表示でもありましたので、この結果は、私の近未来にとっても小さくない出来事になっていくことになります。

 いよいよ、かれも、マイクロバブル人生に、より深く分け入る覚悟を決めることになりました。

 こうして、今回の私の新東京物語は、2015年の年末のぎりぎりにおいても尚、より鮮やかに彩られるということになりました。

 分け入っても、分け入っても、マイクロバブル、この人生は真に「ゆかい」です
この稿おわり)。 
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 甲府市武田神社の大手門付近の紅葉、左下の空堀も紅葉の絨毯で埋まっている(撮影日2015年12月15日)