本日は、5時過ぎに目を覚まし、午前7時20分からのNHK放送を視聴するための心の準備をしていました。

 途中、放送時間まで少し時間の余裕があるなと思って、新聞を持ってマイクロバブル風呂に入ってしまいました。

 --- 放送時間まで30分しかない。これでは、放送開始時間を卓かもしれない。

 そう思いながら、新聞を眺めていたら、案の定、あっという間に時間が過ぎてしまい、出浴後に、この放送を視聴したのは7時32分ごろでした。

 放送は、すでに導入部が過ぎて、展開部に入っていました。

  さて、今回の85ⅿというこれまでに例がない巨大窯を用いての挑戦は、「古備前」と呼ばれる焼き物を乗り越えたい、この思いに依拠していました。

 この古備前は、今から約500年前に、集団で50m前後の大窯で焼かれたものであり、それらが、森陶岳先生の前に大きく立ちはだかっていました。

 すでに、ほとんどの備前焼き作家が10m前後の窯で焼く時代になっており、この窯では古備前に似た作品は作れても、それを乗り越える作品はいくら努力しても不可能なことでした。

 そこで、30歳代半ばから、この巨大窯作りが始まります。

 20m、46m、50mと、いくつも巨大窯を製作しては、わずかな数ではありましたが、思いもよらない作品を手に取ることができたのでした。

 そして、大窯の魅力にとりつかれた森陶岳先生は、30年という気の遠くなるような歳月を費やして85ⅿの巨大窯作りを決心したのでした。

 昨年1月4日、その窯の火入れ式が行われ、数か月の窯焚き、そして数か月の冷やしが施され、7月になって作品を取り出すことができるようになりました。

 この火入れから窯焚きの間においても、森陶岳先生に対しての密着取材が敢行され、次の2つの事態が報じられていました。

 その第1は、400~500℃の温度上昇期において、左右の温度差が約50度にまで拡大したときでした。

 温度の上昇とともに火炎流の上昇速度も増加し、窯の内部の入り口付近で左右の上昇速度差が発生し、そこに温度差が発生したためだと思われます。

 この温度差を解消するために、連続的に竹の薪の投入がなされます。

 竹は、主力の赤松に比べて瞬間的に燃えやすく、温度を高めるのに有効でしたので、これを左の温度が低い部分に集中的に投入し、その温度回復を図ったのです。

 これが功を奏し、左右の温度差は解消されます。

 第2は、内部の焼き具合を確かめるために、試験用のサンプルを取り出したときでした。

 これまで一度も経験したことがないという感想が述べられていましたが、その試験片の上に、たくさんの灰が積み重なり、それが焦げ状態で焼けていたのでした。

 森先生は、この試験片を見て、「窯の温度をより高くする必要がある」と判断します。

 より高温にして、この焦げ付いた部分を溶解し、滑らかな流動状態にまで持っていくことが重要だったのです。

 そして、この高温化で、焦げ付きを無くし、滑らかな表面づくり、さらには「ごまづくり」に成功したのです。

 この場合、「ごま」とは、灰の部分が溶けて、あたかも流れが起きたような模様ができたものをいい、これを、いかにみごとに作成するかが、備前焼の妙と彩を生み出す決め手となることでした。

 備前焼きにおいては、釉薬(釉(うわぐすり)をかけて色艶を出す液体)を一切用いませんので、それを焼く際に被せられる灰が溶けて、ゴマという文様が形成されるのであり、備前焼き作家は、この「ごまづくり」に知恵と工夫を凝らしてきたのでした。

 結果的に、この85ⅿの巨大窯では、これまで見たこともない「ごまづくり」が可能になったのでした(つづく)。
kiirokiku1230