「国東お魚便」が堂々と成り立つ「仕組みとは何か」、その秘密に迫っていくことにしましょう。
その第1は、なんといっても、豊かな海の幸が存在していることです。
この国東沖の漁場は、天下一品といってもよいほどで、南から黒潮が豊後水道を北上してきます。
この豊後水道は、東に伊予半島、西に佐賀関半島の、わずか15kmの間を抜けて北上します。
その後、渦輪を作り、東は山口県へ、西には国東の大分空港付近の海に衝突します。
この潮が衝突するところが、天然の好漁場なのです。
その東には宇和海、北に祝島沖、そして西には姫島沖や国東沖があります。
この優れた漁場から、豊富な海の幸が毎日水揚げされるのです。
第2は、こ水揚げされた魚が格別に安いことです。なぜ、このように安いのか、この理由をずいぶんと探索してみました。
その結論は、おそらく、昔のままの価格が維持されたままだからではないかと思いました。
これに対し、他の都市では中央の経済法則がそのまま適用されるようになり、徐々に物価が高くなっていったのだと思います。
これは、資本主義的操作がなされた結果であり、その経済法則の支配下に置かれてしまったのがほとんどの都市となってしまったのです。
これに対し、国東は真に珍しい例外地であり、その法則が及ばないというふしぎなところなのです。
街並みにも、昭和の40年代かと思われる郷愁があり、歴史も文化も、時代に大きく取り残されることで、その営みが成り立っているように思われます。
ですから、水揚げされた魚が格別に安いのは、それだけのことではなく、その周囲の問題にまで、その昔の姿が残っているという問題なのです。
第3は、仲買と消費者がともに共存していることです。仲買が競り落とした魚を、その場で買い取ることができます。しかも、そのマージンは2~3割ですので、相当安い買い物になります。
しかも、よく調べてみると、たとえば、地元のスーパーが競り落とした価格の2倍が、そのスーパーの店頭価格になっていますので、実際には、その価格の7割安で買えるということになります。
同じ魚が、県庁所在地やその周辺の都市のスーパーでは3倍、東京では4割以上になるという実情があるようです。
資本主義社会が高度に発達してくると、この中間業者が発展し、その過程における経費の上乗せも積み上がって大きくなってしまいます。
流通が盛んになり、なにもかもが都市に集まってきて便利で、安いはずのものが、じつは、便利ではあるが高いものに変わってしまったのです。
ですから、生ジュースが650円、やや大きめのデコポンが1500円になってしまっているのです。
都会に長い間住んでいると、この異常な高さに気付かされなくなってしまいます。
新鮮で格別に安いものに出会わない限り、その異常さに気付くことはないのです。
おそらく、重要な何かがおかしくなっていることに鈍感になるように仕向けられているのだと思います(つづく)。
その第1は、なんといっても、豊かな海の幸が存在していることです。
この国東沖の漁場は、天下一品といってもよいほどで、南から黒潮が豊後水道を北上してきます。
この豊後水道は、東に伊予半島、西に佐賀関半島の、わずか15kmの間を抜けて北上します。
その後、渦輪を作り、東は山口県へ、西には国東の大分空港付近の海に衝突します。
この潮が衝突するところが、天然の好漁場なのです。
その東には宇和海、北に祝島沖、そして西には姫島沖や国東沖があります。
この優れた漁場から、豊富な海の幸が毎日水揚げされるのです。
第2は、こ水揚げされた魚が格別に安いことです。なぜ、このように安いのか、この理由をずいぶんと探索してみました。
その結論は、おそらく、昔のままの価格が維持されたままだからではないかと思いました。
これに対し、他の都市では中央の経済法則がそのまま適用されるようになり、徐々に物価が高くなっていったのだと思います。
これは、資本主義的操作がなされた結果であり、その経済法則の支配下に置かれてしまったのがほとんどの都市となってしまったのです。
これに対し、国東は真に珍しい例外地であり、その法則が及ばないというふしぎなところなのです。
街並みにも、昭和の40年代かと思われる郷愁があり、歴史も文化も、時代に大きく取り残されることで、その営みが成り立っているように思われます。
ですから、水揚げされた魚が格別に安いのは、それだけのことではなく、その周囲の問題にまで、その昔の姿が残っているという問題なのです。
第3は、仲買と消費者がともに共存していることです。仲買が競り落とした魚を、その場で買い取ることができます。しかも、そのマージンは2~3割ですので、相当安い買い物になります。
しかも、よく調べてみると、たとえば、地元のスーパーが競り落とした価格の2倍が、そのスーパーの店頭価格になっていますので、実際には、その価格の7割安で買えるということになります。
同じ魚が、県庁所在地やその周辺の都市のスーパーでは3倍、東京では4割以上になるという実情があるようです。
資本主義社会が高度に発達してくると、この中間業者が発展し、その過程における経費の上乗せも積み上がって大きくなってしまいます。
流通が盛んになり、なにもかもが都市に集まってきて便利で、安いはずのものが、じつは、便利ではあるが高いものに変わってしまったのです。
ですから、生ジュースが650円、やや大きめのデコポンが1500円になってしまっているのです。
都会に長い間住んでいると、この異常な高さに気付かされなくなってしまいます。
新鮮で格別に安いものに出会わない限り、その異常さに気付くことはないのです。
おそらく、重要な何かがおかしくなっていることに鈍感になるように仕向けられているのだと思います(つづく)。
鱧
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