とうとう、このシリーズも、残り1回で100回の記念記事を迎えることになりました。

 おそらく、この3桁の大台に乗る超ロングランの記事は、本ブログ上最長の記録を達成することになるでしょう。

 したがって、本記事は、その記念記事の序章として位置づけられるのがよいのかもしれません。

 振り返ってみますと、このシリーズの開始は2012年6月19日ですので、今日まで、足かけ3年4カ月を経たことになります。

 これは、長いですね。

 さて、100回記念の予告は、これまでにして、本題に分け入ることにしましょう。

 すでに、精神的な労働をすると、マイクロバブル入浴を欲するようになる、このことは何度か述べてきた通りです。

 あるとき、近代文学の研究をなさっている方とマイクロバブル談義をしたことがありますが、その折に、芥川龍之介の話になり、かれはとても新しいものが好きだった、と教えてくださいました。

 「そうであれば、当時に、マイクロバブルがあったら、相当興味を示されたはずですね?」

 こう尋ねると、かれは、きっぱりと自信を持って答えられました。

 「だいたい、作家という方の多くは、新しもの好きなのです。とくに、芥川だったら、マイクロバブルのことを泣いて喜ぶのではないですか!」

 「そうでしょうね。それに、小説を書く時に、相当頭を使いますので、マイクロバブルは、このような方にピッタリですね」

 「もちろんです」

 「そしたら、井上ひさしさんも、そうでしょうね」

 「当然、そうなります。かれだったら、作品のなかにマイクロバブルを登場させていたかもしれませんね。きっと、嬉々と喜んでいたかもしれません」

 「ひょっとして、吉里吉里人が、温泉の代わりに、マイクロバブルを使っていたりして・・・・」

 「これは、ありえますね」

 この時ほど、この文学者は、真剣な顔つきで、自信に満ちた返事をなさったことがないと思えたほどでした。

 「となると、あの『牛肉と馬鈴薯』の国木田独歩もそうですか?」

 「もちろんです。新しい食べ物の『スキヤキ』を喜んだように、マイクロバブルがとても好きになったのではないでしょうか」

 「なんだか、想像するだけでも、おもしろいですね。世界中で、マイクロバブル入浴歴としては私が一番長いわけですから、その作家のみなさんの気持ちが、よく解るような気がします」 

 「作家だけでなく、作曲家をはじめ、頭を酷使する方々には、マイクロバブル入浴が向いているのではないかと思います。肩こりで有名だった樋口一葉にも向いていますね。なにしろ、その肩凝りで、井上ひさしの作品になったほどですから・・・」

 「そうであれば、たくさんの方々に向いている、そうなりませんか?」

 「結局、行き着くところは、そうなりますね」

 こうして、作家論が、マイクロバブル論にまで転じて、この会話は、とめどもなく広がっていきました。

 今思い出しても、この時の会話はおもしろいものでした。

 そんなわけで、本日用意していた「私のマイクロバブル入浴研究」の題材については、書く紙数がなくなってしまいましたので、次回の100回記念の方に回させていただきます。

itigo
    イチゴの花が咲いていました。あったかいせいでしょうか。実もなっているようです。