本日は、表記の題目にあるように、2つの問題を一緒に考えることにしましょう。

 「
はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」

 これは、石川啄木の『一握の砂』にある有名な句ですが、それから、世の中が発展して豊かになってきたはずですが、多くの方々が、この実感を持ち得ていない、これが現代の社会です。

 それは、なぜでしょうか。

 圧倒的多数のみなさんが、豊かに生活を楽しんでよいはずなのに、それが可能でないことには、いかなる理由があるのでしょうか?

 貧しければ、何事においても「おもしろい」ことがなく、我慢を強いられてしまいます。

 こんな疑問を抱きながら、現代にふさわしい「豊かさとは何か」を実践的に追求しなければならないと思ってきました。

 その昔、日本経済のバブルがはじけたころに、
暉峻淑子(てるおか いつこ)さんの『豊かさとは何か』が大ベストセラーになりました。

 これは、彼女のドイツ留学の際の実感を基にして、その比較を行いながら、改めて日本人の生活観を問い直す力作でした。

 折から、バブルに踊り続けた日本人に対して小さくない警鐘を乱打する「教え」となりました。 

 私は、1994年~95年にかけてドイツ、アメリカに留学する機会がありましたので、この著書とともに、そこでの生活を考えることができました。

 生活は、人生の基礎を構成しているものですから、それをどう考えるか、むつかしくいえば、生活の哲学をどう身に付けるか、という重要問題といえます。

 暉峻さんのいう「ドイツ・アメリカの豊かさ」を、その現地で実感し、いかに日本の「豊かさ」が虚構の上に築かれた危ういものであるか、浅薄なものであるかを痛感させられました。

 たとえば、当時のドイツでは、消費税が、なんと15%でした。

 しかし、そのドイツで生活をしてみると、消費税が高いと思ったことは一度もありませんでした。

 なぜなら、生鮮食料品には、この消費税がほとんどかかっていませんでしたので、これが生活を圧迫するという心配はありませんでした。

 ところが、今の日本では、どうでしょうか。すべての生鮮食料品に8%の消費税がかかっており、そのことをいつも意識し、みなさんも、「これがなかったら!」という実感を持たれているのではないでしょうか。

 明らかに、日本の消費税は、庶民の方に負担が大きく、それが目に見えない形で圧迫しているのだと思います。

 そんななかで、都会から田舎まで、しっかりと稼ぐシステムを確立し、ますます、それに依存しないとやっていけないような仕組みが出来上がっています。

 それから外れるよほどの過疎でないかぎり、この呪縛から逃れることができないように仕向けられています。

 こうして全国津々浦々まで、「おもしろきことなき世の中」が広まってしまったのではないでしょうか。

 この呪縛から、どうやって抜け出せばよいのか、これが、ここ国東に来てからの重要な課題になりました。

 その始まりは、あれほど通っていたコンビニに行かない、行く必要がないようにする、その手段を探すことから始まりました。
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                   本日の安岐港の競りに出された魚