若き備前焼き作家の森陶岳氏が、「古備前」の伝統の大壁の前で立ちつくして行き詰ったのが30歳代の半ばのことでした。

 ーーー この壁をどう乗り越えていけばよいのか?

 悩んだ末に、彼が到達したのは、とにかく古備前と同じサイズの大窯を建設して、それで試すしかないと思うようになったことでした。

 この時、周囲からは、あまりにも無謀だ、リスクがありすぎるという非難の声がいくつも上がってきました。

 しかし、陶岳さんのお父さんは違っていました。

 息子のやることを、ただじっと、黙って見守っていたのでした。

 「せがれよ、古備前の壁に突進し、当たって砕けろ!」、密かに、このように願っていたのではないでしょうか。

 長さ46mの大窯を独力で建設していくのですから、相当な量の人手と財力が必要になります。

 兵庫県相生の窯場の土地も、1回きりの約束で借りることになりました。

 おそらく、今振り返れば、若さが故の冒険心、挑む力がそうさせたのではないでしょうか。

 髪の毛を切り、坊主頭になって、ゼロからの挑戦を体現させたのでした。

 当時の森陶岳氏へインタビューが再現されていましたが、口数も少なく、「土のよさを活かしたい」と控えめに語っていたことが印象的でした。

 「巨大窯を造ってみなければ、古備前も境地には接近できない」、このような思いでいっぱいだったのではないでしょうか。

 さて、その結果からは、大きな失敗の中にも、重要な成果が認められる、この2つが生まれてきました。

 前者においては、大甕の6割程度にひび割れを起こさせてしまったことでした。

 これを若さというのでしょうか。森先生は、当時のことを振り返りながら、その失敗を微小すら浮かべながら解説をなされていました。

 じつは、この失敗は、焼いた後に、まだ完全に冷めきらないうちに窯を開けたことで、その際に冷風が入り込み、その温度差でひび割れを起こしてしまったのでした。

 その周囲にはたくさんのメディアが来ており、それに押されて焦ってしまい、それが早く開けてしまうという行為になってしまったのでした。

 しかし、この大甕の失敗は、次の教訓を導き出したのでした。

 ①大窯備前焼においては、大甕の設置が不可欠である。すなわち、この大甕設置なしには、窯焼き自身が成功しないことが判明した。

 ②大窯では、事前の予想をはるかに超えた作品作りが可能となる。

 ②の成功は、①の大失敗を帳消ししても余るほどのものでした。

 それは、色い色の焼き物、すなわち「白備前」が出現したことでした。

 備前焼きといえば、茶褐色か黒色(「黒備前」と呼ばれている)が多いのですが、鮮やかな白色の焼き物が出現したことはありませんでした。

 「なぜか」、若き森陶岳氏は、頭を抱えて考え込みましたが、それがなぜ出現したのか、その理由は解りませんでした。

 しかし、この意外な白備前の出現が、その後の巨大窯作りへの挑戦の原点になっていったのです。

 --- 巨大窯からは、なにか、思いもよらないことが起こる。その数は、わずか、数点しかない。それにしても、なぜであろうか?

 しだいに、このような思いがあ彼の頭の中を独占していたのでした
(つづく)。 
巨大窯の左側側面
                   
  85m巨大窯の左側側面(再録)