「専門職業大学」に関する第2の問題点は、研究機関としては認められない、すなわち教育機関のみである「大学」が果たして本当に認められるのかどうかにあります。
わが国には、短期大学から国立大学まで、各種の大学が存在しています。
それらのすべての大学では、その「設置基準」において教育機関であるとともに研究機関でもあるということが明記されています。
この大学における教育と研究は、それこそ車の両輪として、互いに不可欠なものとしての定着がなされてきました。
また、大学は、「知の空間」とも呼ばれ、教育と研究における「知」が巧みに融合されて発揮される場でもありました。
本専門職業大学構想においては、車の両輪の一つであったはずの「研究機関である」ことが、いとも簡単に外され、その伝統と常識が根底から覆されようとしています。
はたして、このような片肺飛行で、それは「大学」と呼べるのか、そして、その片肺飛行が何をもたらすのか、そのことをしっかり考察しておく必要があります。
ところで、高等教育機関においては、その教育機関ではあっても研究機関としては位置づけられていない組織がありますが、みなさんは、そのことをご存知でしょうか?
じつは、それが高専(高等専門学校)なのです。
高専は、その設置基準上において研究機関としては認められていません。そのために、「大学」という名称を使用することができませんでした。
それでも、時代の進展に合わせて、高専を「専科大学」に名称変更しようという動きが、1980年代半ばに起こりました。
時の文部大臣が記者会見を行って、その名称変更を行うと明言し、それを受けて気の早い高専は、看板を書き換え、封筒を擦り直し、そして入学式においても、その変更がなされることが校長から公言されることまで起こりました。
しかし、この大学への名称変更は、最終的には実現の運びには至りませんでした。
その挫折を招いた最大の理由は、時の内閣法制局長官によって、「大学ではないものを大学と呼ぶことはできない」という明確な見解が示されたことにありました。
ここでいう「大学ではないもの」とは、もちろん高専のことであり、その高専の設置基準においては、教育機関としての位置付けのみがなされていたからでした。
ですから、その設置基準において、教育研究機関としてではなく、教育機関としてのみの位置づけで、それを大学と称するようになるためには、この「大学ではないものを大学と呼ぶことはできない」という内閣法制局の見解を乗り越えていかねばならないのです。
これは、なかなか容易なことではないと思われますが、みなさまは、いかがでしょうか?
この問題が大きな関門になることが認識されていたからでしょうか、有識者会議の「まとめ」においては、この研究に関して、次のような見解が付与されています。
「『研究』については、『教育』と並置して主たる目的に位置付けることとしない方向で、例えば、教育内容を学術の進展や職業分野における技術革新に即応させるために行うもの等と位置づけることが学位授与機関として妥当か等について今後検討することが適当である」
ここには、次の小さくない問題点と矛盾が存在しています。
➊教育内容を、「学術の進展」に即応させることが、「研究なし」にできるかどうか?
❷教育内容を、「技術革新」に即応させることが。「研究なし」にできるかどうか?
❸「研究なし」で、学位授与ができるかどうか?
いずれも、これらのハードルは高く、それらを乗り越えることは至難と言わざるをえません。
足を紐で縛られた状態で、「走れ」といわれて、人は走ることができるでしょうか?
それでも走ろうとすると、その走者の内部には、たとえないようのない苦痛が生まれるてくるのではないでしょうか?
はたして、ここは、「知や技の空間」になれるのでしょうか?
研究機関ではない専門職業大学における「研究活動」について、「まとめ」は、さらに見解を付け加えていますが、それについては、それについては、次回で詳しく論じることにしましょう (つづく)。
広重 東海道五十三次 石薬師 石薬師寺
わが国には、短期大学から国立大学まで、各種の大学が存在しています。
それらのすべての大学では、その「設置基準」において教育機関であるとともに研究機関でもあるということが明記されています。
この大学における教育と研究は、それこそ車の両輪として、互いに不可欠なものとしての定着がなされてきました。
また、大学は、「知の空間」とも呼ばれ、教育と研究における「知」が巧みに融合されて発揮される場でもありました。
本専門職業大学構想においては、車の両輪の一つであったはずの「研究機関である」ことが、いとも簡単に外され、その伝統と常識が根底から覆されようとしています。
はたして、このような片肺飛行で、それは「大学」と呼べるのか、そして、その片肺飛行が何をもたらすのか、そのことをしっかり考察しておく必要があります。
ところで、高等教育機関においては、その教育機関ではあっても研究機関としては位置づけられていない組織がありますが、みなさんは、そのことをご存知でしょうか?
じつは、それが高専(高等専門学校)なのです。
高専は、その設置基準上において研究機関としては認められていません。そのために、「大学」という名称を使用することができませんでした。
それでも、時代の進展に合わせて、高専を「専科大学」に名称変更しようという動きが、1980年代半ばに起こりました。
時の文部大臣が記者会見を行って、その名称変更を行うと明言し、それを受けて気の早い高専は、看板を書き換え、封筒を擦り直し、そして入学式においても、その変更がなされることが校長から公言されることまで起こりました。
しかし、この大学への名称変更は、最終的には実現の運びには至りませんでした。
その挫折を招いた最大の理由は、時の内閣法制局長官によって、「大学ではないものを大学と呼ぶことはできない」という明確な見解が示されたことにありました。
ここでいう「大学ではないもの」とは、もちろん高専のことであり、その高専の設置基準においては、教育機関としての位置付けのみがなされていたからでした。
ですから、その設置基準において、教育研究機関としてではなく、教育機関としてのみの位置づけで、それを大学と称するようになるためには、この「大学ではないものを大学と呼ぶことはできない」という内閣法制局の見解を乗り越えていかねばならないのです。
これは、なかなか容易なことではないと思われますが、みなさまは、いかがでしょうか?
この問題が大きな関門になることが認識されていたからでしょうか、有識者会議の「まとめ」においては、この研究に関して、次のような見解が付与されています。
「『研究』については、『教育』と並置して主たる目的に位置付けることとしない方向で、例えば、教育内容を学術の進展や職業分野における技術革新に即応させるために行うもの等と位置づけることが学位授与機関として妥当か等について今後検討することが適当である」
ここには、次の小さくない問題点と矛盾が存在しています。
➊教育内容を、「学術の進展」に即応させることが、「研究なし」にできるかどうか?
❷教育内容を、「技術革新」に即応させることが。「研究なし」にできるかどうか?
❸「研究なし」で、学位授与ができるかどうか?
いずれも、これらのハードルは高く、それらを乗り越えることは至難と言わざるをえません。
足を紐で縛られた状態で、「走れ」といわれて、人は走ることができるでしょうか?
それでも走ろうとすると、その走者の内部には、たとえないようのない苦痛が生まれるてくるのではないでしょうか?
はたして、ここは、「知や技の空間」になれるのでしょうか?
研究機関ではない専門職業大学における「研究活動」について、「まとめ」は、さらに見解を付け加えていますが、それについては、それについては、次回で詳しく論じることにしましょう (つづく)。
広重 東海道五十三次 石薬師 石薬師寺
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矛盾を生み出すぐらいなら、正直なところ、高専は、高専の特徴ではあるが、問題と批判の根源を生み出している前期課程(専門科目を楔形に打ち込む代わりに、基礎科学や人文社会科目が圧縮されてしまう)を廃して、職業専門大学に合流するしかないのではないか思っています。