若き備前焼き前衛作家の森陶岳の前に立ちはだかったのが、「古備前」の大きな壁でした。

 備前焼きは、明治以降になってから、それまでの集団による窯焼きから、個人による小さな窯焼きへと変化していきます。

 それは、織田信長や千利休、そして岡山の池田藩という後ろ盾がなくなり、民間の個人による焼き物業しかできなくなったからでした。

 そのために、窯焼きのスタイルも変化していきました。

 それまでの大規模な単房登り窯から、長さ10m未満の小規模な連房式登り窯へと転換していきました。

 後者の連房式の特徴は、窯が温まりやすく、その維持が比較的可能であったことから、焼きやすく、経費と時間も少なくて済む、そして、何よりも失敗(ハイリスク)を避けることができたのでした。

 これらの利点がゆえに、連房式は、またたくまに広がり、ほとんどすべての備前焼作家が採用するようになりました。

 放送では、いくつかの連房式登り窯を使用している作家の方々の証言が紹介されていました。

 この窯の最初の空間では、窯の温度を高温にすることができたることから、備前の窯変を色濃く形成でき、一方で、後半部分では温度が低くなるために、すっきりしたさわやかさを醸し出すことができるとして、それらの作品の違いが示されていました。

 若き森先生は、この窯を用いて、さまざまな前衛的作品を世に問うてきましたが、30代半ばになったころに、その活動をぴたりと停止してしまいます。

 安土桃山時代に作られた古備前が、かれの前に大きく立ちはだかったからでした。
 
 放送は、その古備前づくりの拠点であった瀬戸内市伊部(いんべ)の巨大な窯跡が示され、今日まで数百年の試練を経て、今尚、その輝きを放っている作品がいくつか紹介されていました。

 --- 素人の私が観ても、たしかに違う。古備前の重量感、存在感は何なのであろうか?

 それから、森先生に紹介されて、古備前の欠片を触ってみたことがありましたが、そのしっとりした肌ざわりがまるで違っていたので驚いたこともありました。

 また、大きな壺を並べて比較したこともありましたが、その違いは明らかでした。

 焼き物は不思議な力を持っていて、良い作品ほど際立って見えてくるのです。

 --- こんなに違うのか。

 そう思いながら、両者を比較して眺め続けたこともありました。

 放送で紹介されたのは、古備前の大きな壺、花入れ、徳利、そして菓子鉢でしたが、いずれもみごとなものでした。

 これらが、若き森陶岳の前に、どうだ、超えてみろと立ちはだかったのです。

 森先生は、この古備前のすごさを、「圧倒的なエネルギーの大きさ、存在感」という言葉で表現されています。

 前者は、大窯において、その炎のエネルギーが作品に付与されるもので、後者は、その結果として生まれてきたものであり、作品の普遍性とその美が深く関係しているのではないかと思われます。

 このエネルギーとは、単に温度が高いということではなく、大窯において窯焚きで高温を維持し、しかも、さまざまに乱れさせ、焼き物の表面で酸化と還元反応を繰り返させるエネルギーであり、さらには、高温で熱せられた土が流体になり、動き出すことでもあるのです。

 その結果、思いもよらない窯変が起こることで、新たな存在感が生まれてくるのです。

 その醍醐味がみごとに発現されていたのが古備前であり、これをどう乗り越えるか、これが備前焼き作家として自立できるかどうかの生命線としたこと、ここに若き陶芸家森陶岳の優れた資質があったのだと思います。

 この古備前に真正面から挑戦していくには、古備前と同じ大窯を建設し、そこで実際に窯焼き実験を行うことが不可欠の問題になります。

 明治以降、だれも、その大窯づくりに挑戦できなかったことに、森先生は敢然と向かっていくことを決心されたのです。

 「無謀なことだ。危険だ!、成功する保証はない、失敗したらどうするのか?」 

 周囲から一斉に、このような声が上がってきましたが、森先生は、それでも前に進むしかありませんでした
(つづく)。 
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      85m巨大窯の横穴から内部を撮影、大甕の先端が焼かれている様子が見える