先日、BS朝日の「アーツ&クラフツ商会」という番組において、「備前焼」についての放送がなされていました。

興味深い内容でしたので、これを録画して、再度視聴を行いました。

備前焼きは、もともと日用雑貨の焼き物としてスタートし、そのルーツは古墳時代にまで遡るのだそうです。

以来、その歴史のなかで、最も栄えたのが、安土桃山時代だそうで、このころの作品が「古備前」と呼ばれています。

信長や千利休によって「茶の湯」が盛んになり、それとともに備前焼きの名声も高まり、人々からも珍重されるようになっていきました。

その古備前も、時代とともに変化していきました。その証拠が、うず高く積まれた古備前の窯跡から見い出されています。

安土桃山時代においては、その焼き物の表面はざらざらしています。ところが、江戸時代になると、空前の陶磁器ブームが起こり、有田焼のように表面がつるつるした滑らかなものが好まれるようになります。

そのため、備前焼の表面も滑らかなものに変化していきます。

しかし、その備前焼も江戸後期になると不振になり、明治になるとますます衰退し、土管やレンガを作るしかないという困窮状態に陥ってしまいます。

この状態を救ったのが、備前焼の初代人間国宝となった金重陶陽(1896~1967)でした。

彼は、桃山時代の備前焼きの復興をめざし、そこに美を見出すことに成功したことから、備前焼の「中興の祖」と呼ばれるようになりました。

この流れが現在にも生きていて、その古備前の復活を目指して、さまざまな試みと苦闘が繰り返されてきました。

その伝統のなかから生み出されてきた「備前焼の技」とは、どのようなものなのでしょうか。

その第1は、土づくりです。備前焼きは、一切上薬を用いませんので、それだけ土そのものの重要性が増します。そのため、年月をかけて細かくし、不純物を取り除いていきます。

それから、次に、土を丁寧に練って、土のなかの空気を追い出していきます。土のなかに空気があると、ろくろで整形をする際に不都合が生じるからです。

ですから、土練りが本格的にできないと、ろくろを回すことはできないのです。

それだけ、空気混入問題は大敵ですが、しかし、焼きあがった後の備前焼では、その土のなかの空隙が非常に重要な役割をはたすのですから、これもふしぎな話といえそうです。

ところで、土を整形して揉む際にできる模様が菊の花びらに似ているので、これを「菊練り」というそうで、これも備前特有の作業といえます。

第2は、窯焼きにおいて発生する模様や色のことです。これを「窯変」といいます。

もともとは、薄い灰緑色をしている土が、さまざまに変化し、黒や茶、そして緑や赤へと窯変し、真にふしぎな色模様を呈するようになります。

ここが、備前焼作家の腕の見せ所であり、魅惑の世界に引き込まれる登竜門でもあります。

そのために、窯の中での置き方を工夫し、そこに薪の灰をどのように被せるか、さらには、仕上げに外から炭をどのように投げ込むか、これらの作業を加えていくのです。

この窯変をめぐっては、「還元」という用語が示されていました。酸化、還元の還元です。

これは、窯を焼く際に、酸素が欠乏して無酸素状態が作られたときに発生する化学反応現象のことをいいます。

この還元状態になると土の中に含まれている金属物質が溶出しやすくなり、そのことでさまざまな色に、文字通り窯変しやすくなっていくのです。

しかし、作家が望むような窯変模様は、そう簡単には出現しません。その確率は、毎回1%程度だそうで、ここに備前焼における最大の問題点があるように思われます。

この窯変における赤や青、そして緑をどう鮮やかに出すのか、その最も重要な因子は、天候だそうです。

その自然の力が、作品の窯変に影響を与えるようで、その窯変には、天の自然の力をも作用するそうで、ここに、さらに偶然性が加わることで、ますます複雑性を増すようです。

これらを、備前焼の神秘性というのでしょうね。

おかげで、備前焼のことを、またひとつ深く学習させていただきました。
ajisai
             雨に濡れて鮮やかなピンク色が増した我が家の紫陽花