台風一過、本日は初夏を思わせる暑さで、中庭で、植物の世話をしていました。

植物とはふしぎなもので、自分では何もできないのですが、それと親しく付き合っていくと、なにかしら、そこに特別の関係ができてくるようで、やはり、ヒトにとっては、なくてはならないもののような気がしています。

さて、このシリーズも7回目を迎えることになりました。

「私はマイクロバブル」ですから、好きなように、どこでも入っていくことができます。

前回は、その私どもがスクラムを組んで力を合わせるという問題で終わっていました。

じつは、この合力問題は、そんなにむつかしいことではありません。

私どもは、ほぼ均一のサイズで生まれますので、しかも、マイナスの電位を有していることから、お互い同士はくっ付きあうことはありません。

一部には、マイクロバブル同士が合体するという見解を示されている方もおられます。

そこには、必ずといってよいほど、マイクロバブル同士を引き付け合うプラス電位の小さな有機物(汚れのようなもの)が介在して、そこに付着したマイクロバブル同士の負電位のバランスが崩れると、互いが一つになる、いわゆる合体現象が起こることがあります。

また、気泡同士では、極端にサイズが異なり、負電位差が大きくなると、大きな気泡にマイクロバブルが吸収されて行く現象が観察されています。

この場合、大きな気泡とはミリサイズであり、その数十分の1のサイズがマイクロバブルになります。

しかし、この場合にも有機物を介在しないと、互いに接近できませんので、この合体現象は、ほとんど特殊な条件下でないとなかなか起こらない現象ではないかと思っています。

じつは、互いに近接しながら、しかし独立して存在しうる、これが、私たちにとっては、非常に重要な性質ということができるでしょう。

たとえば、私の身体のサイズを20㎛としましょう。

私の隣のマイクロバブルまでの距離を100㎛としますと、1㎤のなかには約1000個のマイクロバブルが存在することになります。

この1000個が、同じ性質を有し、一斉に動くことになったら、すなわち合力することになったら、どうなるでしょうか。

もちろん、私たち個人の力は、小さく、ほんのわずかなエネルギーしか持っていません。

個々には、小さいエネルギーしかないのですが、それが合力されると、私たちの住んでいる場が、何か重要な変化をもたらすことはないでしょうか。

その時、大きなモノに対しては、わずかなものでも、逆に、小さいものに対しては、その作用効果は同じでしょうか?

私は、ここに重要な問題があるような気がしています。

それでは、その小さいものとは何でしょうか?

その最も代表的な事例は、生物の細胞です。

この細胞には、油質の膜があります。これで細胞を保護するという重要な役割があります。

また、この膜を通じて養分を取り入れ、老廃物を排出しています。

ここで、私たちは、この細胞膜に分け入ることができるのかどうか、この問題にぶっつかってしまいます。

もともと私たちが生まれた時の身体の大きさは、せいぜい27㎛前後です。

その大きさは、細胞よりもやや小さい程度ですから、ほぼ同オーダーの大きさといえます。

また、これが時間経過とともに収縮していきますので、さらに細胞よりは小さくなり、最終的には、1/10、1/100まで小さくなっていきますので、サイズの上では細胞とのやり取りはかのうになるのではないかと思っています。

さて、問題は、どうやって、細胞の膜を通過し、そのなかに分け入っていくかという問題です。

これはなかなか容易なことではないと思われます(つづく)。