7.使うことで落ち着いた肌ざわり

いよいよ、備前の「七不思議」も、最後の項目になりましたが、この項目は最後を飾るにふさわしいといえるでしょう。

古くから、備前焼は生活用品として使用されてきました。

最初はざらざらした感触の備前焼が、使い込まれるにしたがって、角が取れ、手に馴染んでくる妙が、この言葉として表現されています。

ここでいう、備前焼の「艶が増す」「特有の味わい」とは、どのようなことなのでしょうか。

これまで、時間をかけて親しく触れ合うことができていない私には、この風情、あるいは風味を正しく理解することができません。

そして、備前焼が生み出す「譲り合い」「協調」とは、どのようなことなのでしょうか。

これも簡単なようで、じつは深い意味があるのではないか、と思います。

たしかに、焼き物は使うほどに風格が出てきてよくなっていくことを、私の場合は萩焼で経験してきました。

長い間、山口県に住んでいましたので、その道の専門家から紹介を受け、大変立派な陶芸家との交流を重ねてきました。

しかし、萩焼の場合は、どちらかといえば釉薬を駆使する焼き物ですので、素肌が出てくることはほとんどなく、その表面も滑らかに仕上げられています。

これに対し、備前焼は、ごつごつ、ざらざら感があり、土と火が真っ向から競い合うなかから生まれてきた焼き物であり、そこに力強さがあります。

ここまで書いて、我が家にはたった1枚しかない備前焼の皿を取り出し、しげしげと眺め、そして触ってみました。

これが、使い込むほどに、より滑らかになり、艶が出てくるというのですから、この実践を積み重ねないと、そのよさも理解できないように思います。

それから、先日は、X先生宅で、約500年前の古備前の焼き物を見せていただきました。

「今の焼き物と違うでしょう!古備前にはしっとり感があります」

こういわれ、触ってみると、たしかに手触りがまるで違っていました。

ーーー たしかに違う。これが艶なのか?

その風情の違いは、壊れた小片においても明らかでした。

ーーー なるほど、先生が85mの巨大窯を造って、その古備前に迫る意味は、ここにあったのか!

その違いは、私も含めて、その時、周囲におられたみなさんによっても、すぐに確かめられるほどに明らかなものでした。

私には、その古備前の小さな欠片が、悠然と光り輝いているように見えました。

ーーー ここには、500年前の、彼らの大変な営みが隠されている、どうして、このようなものを造り上げることができたのであろうか?

この古備前の魅力に触れ、X先生とともに、この謎に挑んでみよう、と思いました(つづく)。
備前焼の皿
                       我が家にある備前焼の皿