本日は、もみじ饅頭の外側、これをカステラ部分と呼ぶことにします。

ここで重要なことは、中の餡の部分とのマッチング、すなわち、融合性をいかに図るかという問題が浮き上がってきます。

長年饅頭づくりの業者の方々と付き合いがあったポンプメーカーの方に、おもしろい話を聞いたことがあります。

この方は、実際に、Iむらもみじ屋のもみじ饅頭をわざわざ食べに行った方でもあります。

「先生、饅頭で一番大切なことは、中の餡の部分と外側の皮の部分の水分を同じにすることです。あのもみじ饅頭は、それができていましたね!饅頭屋は、その水分調節に苦労しています」

「よいご指摘をありがとうございます。なるほど、専門家ですね。目の付け所がよいですね!」

外側のカステラ部分がしっとりしていて、その状態で饅頭を口に入れると、それが口の中でよく混ざります。

そして、それを噛むうちに何ともいえない美味しさが醸し出されてきます。

この混ざり合う妙が、この饅頭において実現されていて、これが忘れられない味に変化するのです。

これが、実現されていないとどうなるのでしょうか。

そとのカステラ部分がぱさぱさして、口の中に入れても、餡とよく混ざらず、それぞれ別々の味しかしないという状況になっていきます。

ここに大きな差異が生まれてくるのでしょうね。

それは、食べ終わった後に、次の変化として現れてきます。

①「もう一度食べたいと思うようになる」

②「もういいやと思い、それで終わりになる」


この①の思いを実現させたのが、このもみじ饅頭だったのです。

これと同じ思いを誘起させる饅頭が、福岡の名物となっている「通りもん」です。

この饅頭の皮は薄く、中の白あんと一体化して、いつもしっとりしています。

中の餡の水分が、そのまま皮の部分に浸透していています。

これだと、そのれを口に入れて噛むと、餡と皮が一体になって、その複合的な美味しさが出てきます。

さすが、長い間、モンドセレクション最高金賞を撮り続けた饅頭だけあります。

もうひとつ重要なことは、長もちがするかどうかの問題があります。

通常のもみじ饅頭の場合、それからかつてのIさんのもみじ饅頭も同じで、その寿命は、せいぜい4日程度でした。

それは硬くなるからであり、これが、この饅頭の泣き所でもありました。

ところが、マイクロバブルのもみじ饅頭は、この常識を大きく塗り替えることになりました。

「先生、20日経っても硬くならず、持っています」

「そうですか、それはよかったですね」


これも、中の餡と側の皮が一体化して水分の保持がなされているからで、「それくらい持ってもふしぎはない」と思いました。

しかし、これは大きな問題にはなりませんでした。

なにせ、休日には、1日1万個も売れるようになりましたので、作り置きが不要だったからでした。

毎朝、その饅頭づくりが、店先でなされています。

なにしろ、一日1万個も売れるのですから、その饅頭づくりの音も小気味よく聞こえてきます。

作り立ての熱々においては、粒餡の方がおいしいということでしたので、それをおいしくいただいたことがあります。

まことにみごとな味でした。

皮と餡の一体感、これはいったい、どのようにして実現されたのでしょうか。

気になるところです(つづく)。
舞阪 今切真景


                  広重東海道五十三次 舞阪 今切真景