その後も、相変わらず元気なしたらまちゃんと二人の妹たちの様子が届いています。

今年の1月末に生まれた二人目の妹もずいぶん大きくなり、首もしっかり座ってきて、かわいい笑顔を見せるようになりました。

しらたまちゃんは、以前にも増していつも遊びに夢中になっているようです。

こちらにいるときには、トランプゲームを通じて計算や判断能力を鍛えた彼でしたが、その鋭さに舌を巻くこともありました。

また、その遊びにおいては、自分で切り絵工作やモノづくりに没頭する姿が印象的でした。

この姿を毎日眺めることができ、子供には生まれつきの創造力があることを確かめることができました。

この創造性は、自分が描いたあるモノをつくる、この意味においては模倣から始まりますが、それを自分で造りだすことにおいては、それは新しいものであり、この作業を何回も重ねることによって、その創造力を鍛えているようでした。

あるとき、中の紙がなくなった3つのティッシュペーパーの箱を使って、何かを造っていました。

「何をつくっているのかな?」

こう尋ねると、「ギター」という返事がありました。

たしかに、ギターの弦らしきものは輪ゴムで代用し、その3つの箱を横向きに連ね、それぞれには輪ゴムの弦が2本ずつ付けられていました。

これで合計6本の弦を、ボロン、ボロンと引くことができます。

あり合わせの材料で、自分の知っているギターの代用品を夢中で造っていました。
ギターしらたま
しらたまちゃんが作ったギター
それが完成して、誉めてやるととても喜び、その弦を引いていましたが、その後は、もう次のモノづくりに向かっていました。

こうして、毎日、モノづくりに夢中になって、そのアイデアと腕をあげていく姿を見て、その創造力はどこまでも発展していくのではないかと思いました。

ここには、模倣から創造力が生まれ、磨かれていく姿があり、子供には、その力があることを認識することができました。

よくいわれることに、日本人は模倣は得意だが、創造力が豊かでないという説を聞いてきましたが、このしらたまちゃんを見るかぎり、そんなことはまったく無縁のことだと思いました。

問題は、この創造力に溢れた子供たちが、どこかで、その芽を摘み取られてしまうことにあるのではないかと思います。

これが、あるときは学校で、受験で、さらには社会や企業の中にさえあるのではないか、そのように思える事例を想起することができます。

創造力を発揮できるようになるには、しらたまちゃんのように、模倣から新たなものを生み出すことを常に繰り返し、それを洗練させていくことが重要であり、この連続的な創造性の発揮のなかで身につくものです。

どこかで、それが中断されると、それを止めてしまい、安易な方向に流れてしまい、それを再開することに苦痛さえ覚えてしまうようになります。

そして多くの大人たちが安易に流れる見本を示し、当の子供もそれでよいのだと思ってしまうのです。

すでに、日本経済を新たに牽引するエンジンがなくなって久しい歳月が流れています。

イノベーションという用語は相変わらずよく見かけますが、それを本格的に生み出す創造力において、大きな停滞が出現しています。

とくに、地方では、その停滞が危機的状況を加速させ、その再生を可能にするアイデアもなかなか生まれていません。

「今だけ、自分だけ、お金だけ」という変な用語が流行り、創造性の貧困のなかで物事が進行しているように思われます。

ここは、子供たちの原点に帰り、模倣から創造に夢中になる、それに没頭して洗練する、豊かな創造性発揮の好循環サイクルを幾重にも形成させる、このような社会づくりに身を置くことが重要ではないかと思います。

これが、しらたまちゃんのギターづくりから、私が学んだ重要な教訓でした(つづく)。
siratama-201503
4歳1カ月のしらたまちゃん